過激なライブパフォーマンス誕生の瞬間
1964年7月、ザ・フー(当時はハイ・ナンバーズ)は念願のレコードデビューを果たし、ロンドンのモッズ族からの支持を中心に、少しずつ頭角を現していた。
同年9月8日、ロンドンの北西に位置する小さなホテルで行われたライブでのこと。手を伸ばせば天井に手がつくほどの狭い空間で、その後のバンドの方向性を決定づける事件が起きた。
ライブ中にギタリストのピート・タウンゼントが、誤ってギターを天井にぶつけてしまったのだ。
大事なギターに傷がついてショックを受けたピートだったが、それ以上にショックだったのは、客がそのことを全く気にかけていないことだった。
「俺は頭にきて、この大事件を客にアピールすることに決めた。そう、思いっきりギターをぶっ壊すことにしたんだ」
こうしてライブで派手にギターを壊したバンドの噂は徐々に広がっていき、ピートのパフォーマンスはそれだけにとどまらず、腕を大きく回してギターを弾く「風車弾き」を発明したりと、より派手になっていった。
実はピート・タウンゼントにとって、それは未熟なギターの腕を補うための手だった。空き時間のすべてをソング・ライディングに費やしていたので、ギターを練習する時間がなく、ライブを盛り上げるにはテクニックよりもパフォーマンスに頼らざるを得なかったのだ。
やがてライブの最後では、『マイ・ジェネレーション』を演奏中にピートがギターを叩きつけ、キース・ムーンがドラムセットを放り投げて締めくくる、というのがザ・フーの定番となった。
その攻撃的なパフォーマンスが注目されて、翌1965年にリリースされたデビューアルバム『My Generation』は全英チャート5位まで上昇し、英国随一のライブバンドとして知られていく。
1967年6月16日から3日間にわたって開催された、伝説の野外フェス<モンタレー・ポップ・フェスティバル>には、全米から多くのバンドやミュージシャンが集まる中、海を越えて参加したのがザ・フーだった。
本国では絶大な人気を誇るザ・フーだったが、アメリカにおいては同じイギリスのビートルズやローリング・ストーンズの陰に隠れてしまっていた。それゆえにモンタレーの舞台は彼らにとって大きなチャンスだったのだ。