「障害を隠さずにいてほしい」両親の思いと一致…5才から健常者と練習し特級クラスに。パラ水泳・南井瑛翔が目指すメダル_1
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5歳からスクールでスイスイと昇級

生まれつき左足首から先がない南井は、5歳で水泳を始めた。「自分の障害を隠さずにいてほしい」と願う両親の思いと、スイミングスクールから出てくる子どもたちを見て「僕も通いたい」と言った南井の希望が偶然にも一致したのだ。

だが最初は泣いてばかりだったという。「行くまでの準備とか面倒くさくて。でも行ったら行ったで楽しかったんで、辞めなかったんでしょうね。週1回だし」

才能の開花は早かった。「上達がめちゃくちゃ早いってコーチに言われました。スイスイクラ昇級して、気づいたら小学3年生で全部の級を取り終わってました」

その後は6年生までずっと1番上の特級クラス。毎週同じことの繰り返しで退屈に感じるほどだった。

パラ水泳を知りハートに火がついた

中学入学と同時に学校の水泳部に入部。「スクールを辞めて、部活に専念しました。練習量は週1回から週6回に増えたので、だいぶしんどかったですね。でも同じ学年に仲間がたくさんいたので、楽しくやれてました」

転機は中3のときだった。水泳部の監督から紹介され、滋賀県で開催されたパラ水泳の選手育成コースの練習に参加。「それまでパラの世界は知りませんでした。自分の足に違和感はあったんですけど」健常者の中で一緒に泳いでひけを取らず、障害というはっきりした自覚はなかったという。

「まわりとは違うなーという、ぼんやりした感じだったと思います」大会への出場を勧められ、パラ水泳の世界への第一歩を踏み出した。

「水泳への熱量が変わりました。パラ水泳っていう、自分も活躍できる場があるのを知って。同じ(障害の)クラスで戦えるのが、すごいおもしろかったです」

「障害を隠さずにいてほしい」両親の思いと一致…5才から健常者と練習し特級クラスに。パラ水泳・南井瑛翔が目指すメダル_2

中3の9月、初めて全国大会のジャパンパラ大会に出場した。「同じクラスの選手に、初めて負けた。それがすごい悔しくて、この人に勝ちたいって思って火がつきました。それで高校も水泳の強いところに決めました」

練習量を増やし日本代表に

高校に入ると練習量は飛躍的に増加。中学校時代の1日3000mから、夏は6000m冬は7000mへと増えた。「冬は陸上トレーニングを1〜2時間してから7000m泳ぐので、特にキツかったです」

得意種目も変更した。小学校から中学2年生まで平泳ぎを専門としていたが、ある日の練習でバタフライを泳いだ際、監督から「お前、バッタ(バタフライ)いいやん。センスあるなー」と言われ、「もうそれであっさり、バタフライに転向しました」