「ここは青春の島やった」

置屋では「チーママ」と呼ばれる女性が娼婦たちの行動を管理。そうして監視される生活に耐え兼ねてか、島から脱走を試みる女性もいたという話を#1にて紹介したが、サツキさんはストレスと無縁な生活を送っていたという。

「私は女将との信頼関係もあったから、生理休暇のときは一人で島外に買い物にも行ってたで。まぁ足抜けしそう(逃げそう)な子に関しては、島外に出るときはチーママが同伴で監視してたみたいな話は聞いたことあるな。

せやけど、同僚の女の子のなかには男に売り飛ばされた子も多くて、同じような境遇だったから一緒に飲みにも行ってたで。そこで新人の子が『もう帰りたい』とか泣き出すこともあって、そのたびに『バンス(借金)返せば帰れるんやから、それまでがんばろうや』なんて励ましてた。まぁ私にとってここは青春の島やった」

廃業した置屋の内部(撮影/高木瑞穂氏)
廃業した置屋の内部(撮影/高木瑞穂氏)
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そんな「売春島」もバブル崩壊とともに衰退。売春に対する世間からの風当たりも厳しくなっていったが、2010年代に突入しても、まだ置屋は5、6軒ほど営業。全部で4~50人ほどの娼婦が生活していたという。

「その8割近くが若いタイ人で、日本人は4~50代しかおらんかった。だから女将も、よくお客さんに『もう日本人はおばちゃんしかおらへんよ~』なんて言ってた。まぁ実際に、この時期になると団体客もかなり減ったし、飲み会だけやって女の子とは遊ばない人も増えていったからな。

だからショートとロングが1本ずつ入ればかなりいい方やったし、昔みたいに稼げなくなったんよ。それでも馴染み(のお客)さんが元日からの2日間を買い切ってくれたこともあって、重箱に入ったおせちや瓶ビールを持ってサービスしたのはいい思い出やな」