「1990年代は、大半の国にとって快適な10年間だった」
1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。それから数年の間に、ソ連は中欧の衛星国に対する支配力を失い、ロシアはソ連に対する支配力を失い、モスクワは一時的ではあれロシア連邦に対する支配力を失った。アメリカの同盟国では至るところで、祝典やパーティ、パレードが行なわれた。だがその一方で、新たな問題も生まれた。
ブレトンウッズは、従来型の軍事同盟ではなかった。アメリカがソ連に対抗するために、海洋における優位性や経済的に恵まれた地理を利用して、同盟関係を「購入」したのだ。アメリカはその見返りに、グローバルな貿易を可能にし、同盟国が輸出できる底なしの市場を提供した。
だが、敵がいなくなったいま、ブレトンウッズは存在理由を失った。戦争が終わったのに、同盟関係を維持する費用をアメリカが支払い続ける理由がどこにあるというのか?それではまるで、住宅ローンを完済したのに、まだ支払いを続けるようなものだ。
1990年代は、大半の国にとって快適な10年間だった。アメリカが提供する強力な安全保障のおかげで、大規模な国際紛争は一つも起きなかった。世界規模の貿易が、かつてのソ連圏にも、冷戦の終結をひたすら待っていた国々にも深く浸透した。
アメリカが提供する監視や市場アクセス維持にまつわるコストは着実に増えていたが、平和と繁栄が支配する環境のなかでは、それもすべて管理できると思われた。
ドイツは再統合された。ヨーロッパも再統合された。アジアの虎と呼ばれる国々が急成長を遂げた。中国が本領を発揮して、消費財の価格を押し下げた。アフリカやラテンアメリカ、オーストラリアなどの資源産出国は、世界各地の工業化に貢献して莫大な収益をあげた。地球規模のサプライチェーンにより、デジタル革命が可能になるどころか、当たり前のものになった。そんなすばらしい時代を経験して、私たちはみな、それが普通だと思うようになった。
しかし、それは決して普通ではない。
冷戦後に平和と繁栄の時代が生まれたのは、地政学的な対立を抑止し、グローバルな「秩序」を支援する国際安全保障の枠組みに、アメリカが長期にわたり関与したからにほかならない。
だが冷戦が終わり、安全保障環境が変わったいま、そのような政策は、もはやニーズに合わない。私たちがみな普通だと思っている時代は実際のところ、人類史上最もいびつな時代である。そんな時代は信じられないほど、もろい。
実際、それはすでに終わっているのだ。
文/ピーター・ゼイハン













