狭山アメリカ村にあった伝説の“HOSONO HOUSE”
後にYMOを結成する細野晴臣が、はっぴいえんど解散翌年の1973年5月にリリースした、ソロ初アルバム『HOSONO HOUSE』。
アメリカの一部のミュージシャンらが実践していたホームレコーディングの手法を取り入れ、機材をそろえた自宅でレコーディングの全工程を行なった、当時の日本では画期的な作品である。
このアルバムの裏ジャケットには、レコーディング現場となった細野の自宅=ホソノハウスの住所が番地まで印されていた。
埼玉県狭山市鵜の木11-36。
県営狭山稲荷山公園と国道16号に挟まれたそこは当時、“狭山アメリカ村”あるいは単に“アメリカ村”と呼ばれていたエリアである。
2020年に発売された細野晴臣の評伝『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介・著、文藝春秋・刊)のプロローグを引用しよう。
かつてこの辺りはジョンソン基地と呼ばれていた。(中略)ジョンソン基地は段階的に日本に返還され、入間基地になり、基地の一角のハイドパークと呼ばれていた公園は狭山稲荷山公園になった。
基地に隣接する米軍ハウスが開放され、日本人に賃貸されるようになったのは返還が進むなかでのことだ。
この米軍ハウスが狭山アメリカ村である。
アメリカの文化や生活様式をそのまま残す、いってみれば日本のなかの米国は、アメリカに憧れを抱く戦後生まれの若いミュージシャンたちを呼びよせ、そこに夢と理想のアーティスト村を形成した。
『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介・著、文藝春秋・刊)
基地に隣接する米軍ハウスが開放され、日本人に賃貸されるようになったのは返還が進むなかでのことだ。
この米軍ハウスが狭山アメリカ村である。
アメリカの文化や生活様式をそのまま残す、いってみれば日本のなかの米国は、アメリカに憧れを抱く戦後生まれの若いミュージシャンたちを呼びよせ、そこに夢と理想のアーティスト村を形成した。
『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介・著、文藝春秋・刊)