ダメ人間小説としての『みどりいせき』

豊崎 あとね、この小説はユーモアも卓越してるんです。思わず声出して笑っちゃった箇所がいくつもあって。

大田 ほんとっすか? 嬉しいなぁ。

豊崎 うまいと思ったのは、鎌倉への振替実習に参加できなかった主人公が、親切な学級委員の山本くんからもらうお土産の使い方。野球部でもある山本くんはいいやつだから、ふだんあまり学校に来ない「僕」に大仏のキーホルダーを買ってきてくれるんですよね。で、それは押すと木魚の音が鳴るの。

大田 続いてお経が流れる(笑)。

豊崎 そうなんです(笑)。「僕」はそれをポケットに入れておくんだけど、春たちと揉めてるときに衝撃で鳴っちゃうんですよね。最初は堪えてるんだけど、二回目でみんな大笑いしちゃう。ここはうまいなぁって思った。映画化されたらこのシーンはイキだなって(笑)。

大田 そこは推敲の段階で付け加えたんですよね。物語のすじ的には春たちと喧嘩しちゃうところが大事なんですけど、それだけだとシリアスになりすぎちゃうから。性格的にそういうのちょっとムズムズしちゃうので、こういうのを入れてみました。

豊崎 テクニカルだと思いました。この主人公の「僕」は何につけても無気力な高校生ですよね。彼は不登校気味で、学校に来てもクラスメートとも交流せず、校舎を徘徊してばかりじゃないですか。そんな「僕」が兄や仲間たちと大麻クッキーの売買を手がける一歳年下の春と再会して仲間になり、彼女らの隠れ家でようやく居場所を見つける。そんな物語なんですけど、さっきの大田さんご自身が学校に馴染めなかったって話を聞くと、ここにはご自分が少しは投影されてるのかなって思ったりもするんですが。

大田 あえて意識しないので自分じゃわかんないですね。入ってるっちゃ入ってるかもです。誰かがあるインタビューで言ってたんですけど、小説って一人の人間が作ってる世界だからどうしても自分が入らざるを得ないって。俺もそんな感じだと思います。
 ただ、自分はみずから選択して学校へ行かないって決めたタイプです。でも、彼はそうじゃなくて、自分じゃ決められないからどうしようかなって揺らぎがある。そこに自分との違いがあるんで、主人公の学校や社会との距離を描くときは頭を使いましたね。

豊崎 私はダメ人間小説が好きだから、この「僕」がすごく好きです。最初、クビになったアルバイト先から給料の件でメールが来るとひどい言葉を返すんだけど、でも一方で、気が弱い部分もあるんですよね。お父さんが死んだことを怒ってるのも悲しいからだし、ずっと自分と二人三脚で生きてきたお母さんに対しては愛情がある。思春期だからその愛情ゆえにうまく話ができなくなってたりもする。そんな「僕」のキャラクターがとてもいいなぁって思いながら読んでました。ダメだけど、ダメ過ぎるわけじゃないし、そんなダメな状態からすぱーんと成長することもない。そういうのがぜんぶ好きですね。

大田 主人公の情けない部分や人間として弱い部分を書いてると自分を見てるようで、なんだろうな、こいつはって思ったりもしました。でも、そこに春がカウンターをかますじゃないですか。スカッとするんですよね、書いてて。

豊崎 春はかっこいいもんね。

大田 かといって春が絶対の正義にならないようには気を使いました。あくまでツッコミ役みたいな感じっていうか。でも、春だけじゃなくて、人と人が一緒にいる時間を描くってことは意識しましたね。

一人でずっといるとどうしても内省的になっちゃうし、主人公の声だけ書いてると、すごく煮詰まっちゃうからいろんな人の声が入って、響き合って、そいつらの世界が丸ごと自分のなかで立体的になっていく方が好きなんですよね。「あれいいよね」「そうだね」「このお肉美味しいね」「うん」「あのお店気になるね」「行こうよ」みたいに気持ちが一直線の会話だったらなくてもいいじゃんって思っちゃうし。会話なんて思い通りいかないことの方が多いわけだから、ふだん自分が人と喋ってるときの感じをそのまま真空パックにして書こうとしました。

豊崎 「僕」が大麻クッキーを食べてる自覚がまだなくて、春たちのやってることが何なのかわかってない初めの方なんてまるで噛み合ってないですしね。
大田 読む人がなんとなくわかるぐらいでいいかなって思ったんですけど、割と伝わってくれたみたいでよかったです。

幸せな“子どもの時間”を描く

豊崎 一人称の使い方もいいですよね。冒頭の小学生時代を思い出すくだりや大麻を吸ったあとでは「ぼく」なんだけど、高校生の現在の自分は「僕」になってる。大田さんがすごく気を配りながら書いてる証拠だと思います。

大田 やっぱ第一作だったから、どう書けばいいのかわかんなかったんですよ。小説の指南本とかを読んで書いたわけじゃないし、誰かに教えてもらいながら書いたわけでもなくて。自分のなかに書きたいものは確かにあるんすけど、それを人に読ませるように書くのってなかなか難しいんですよね。

どの場面でもいちいち自分で考えて書かなきゃいけないから手探りだったんです。だから、場面ごとに「僕」をひらがなに開いたりしてみました。誰も教えてくれないから勝手に自分でやっちゃうよ、早く止めて、誰か、みたいな感じ(笑)。

豊崎 どこかのインタビューでこの作品は『群像』に応募した作品の続編だって言ってましたね。

大田 同じ世界線の小説みたいなやつっすね。あっちは春のお兄ちゃんが高校生のときの話なんですよ。この仕事を始める前の物語っていうか。場所は同じだし、構造的にも近いものはあるかもしんないですけど、でも、全然違う話。

豊崎 それはそれで読んでみたいですけどね。春のお兄ちゃん世代の話も興味深いですし。どうして春のことを巻き込んでいったのか、とか読んでみたい。落ち着いたら書いてみてください。

大田 自分的には一次も通らなかった作品なんで、怖くてまだ読み返せてないんです(笑)。集英社の担当編集者に読んでもらったら面白いって言ってくれたんですけど。ただ、さっきの“変”で言えば、そっちは“変”じゃないんすよね。もうちょい常識人の自分が書いた感じで、小説っぽいものにもっと近づけた作品。それであっさり落ちたから、もういいわ、好きなもんを自由に書かせてもらうよって書いたのが『みどりいせき』ですね。

豊崎 わざわいを転じて福となす(笑)。

大田 すり寄って行ったら思いっきしコケて、めっちゃ恥ずかった。で、ふっきれました(笑)。

豊崎 でも、それでこの「声」を獲得できたわけだから、落ちてよかったと私は思いますよ。これは絶対に大田さんの武器になるから。ただ、それに縛られる必要もないってことは伝えたいです。大田さんの尊敬する川上未映子さんも『わたくし率 イン 歯ー、または世界』や『乳と卵』で特異な文体を作ったあとずいぶん苦労したみたいだし。やっぱり個性に押しつぶされそうになるんですよね。みんなが褒めてくれた文体から逃れるのは相当大変だったようです。

でも、川上さんはそのあとで別の文体を自分でしっかりと作って、本屋大賞の候補にもなるくらい読みやすい文章も書くようになりましたよね。だから大田さんも別に縛られなくていいと思います。この文体で書きたかったら書けばいいし、違う文章に挑戦してみたかったらこだわる必要もない。それだけのことです。この「声」は一つの立派な武器でそれを見つけることができたってことを忘れなければそれでいいと私は思います。

大田 ありがたいっす。肝に銘じます。

豊崎 それともう一つ、私がこの小説を好きな要素に、恋愛関係を発生させていないことがあります。男女間の友情とか、バイブスでつながった絆による若者たちの擬似家族みたいな背景になっていて、私はそれがとても好きだったんですよね。
 

大田 正直、恋愛を描きたくなかったんです。単純に要らないと思ったし。法に触れてることをみんなでしてて、誰かがチクったら終わる。そういう秘密を抱えるみんなが共同体を守り合ってる。こいつらは相手を思い合えてるし、だからこそ何かのきっかけで崩壊しかねない儚さもあって、それを描ければ恋愛なんてなくていいじゃんって。

そもそも自分が読みたいものを書いた作品なんすよ、これ。読者として、変な箇所で男女がイチャイチャしてる小説読むとイライラすることがよくあって。ここで性欲必要あんの? みたいな。特に今回は女子高生が出てくる。今の自分の実力で彼女らの恋愛を書くのが気持ち悪くてあんまやりたくなかったんです。自然なものを描きたかった。

豊崎 私はこの小説を読んで“子どもの時間”って言葉が思い浮かびました。やってることは社会的に考えて悪いことなのかもしれないけど、この子たちが生きている時間と場所って本人たちにとってはとても幸せなものなんですよね。子どもが作った幸せな時空間だからこそ、悲しいかな、長くは続かない。子どもが作ったものって必ず壊されるし。だから、ここに恋愛が出てきたら私はたぶんすごくがっかりしてました。でも、そうじゃなかったからよかった。最後も素晴らしいシーンで終わってますよね。まだ読んでない人はぜひ楽しみにしてほしいようなラストです。

大田 あざっす。一番書きたかった場面です。最後までお楽しみにって感じですね。

豊崎 私はこの作品、アニメになったらいいと思うんですよね。もちろん言葉でしかできない表現はたくさんあるんだけど、最後のシーンはアニメ化したら若い子たちに刺さるんじゃないかな。小説を読まない人にも届くバイブスがあると思うんです。

大田 確かにそうっすね。売ってるものとかやってることと、物語のテイストにギャップがあるし。

豊崎 さっきも言いましたけど「僕」のキャラクターもリアリティがあっていいし。きっと若い子たちがこの物語を受け取れば、人間なんてこの程度にみんなダメでいいんだって感じられると思うんですよ。

大田 そこには作者のダメ度も反映されてるんですけどね。

豊崎 私はこのダメさ加減がこの小説を成立させてるんだと思います。大田さんはお仕事と執筆を両立されてると思うんですが、その兼ね合いはうまくいってるんですか?

大田 もうすぐ子どもが産まれるんですけど、そのタイミングで産休に入ろうかなって思ってます。それまでになんとか二作目を終わらせたいな、と。子育てに入ると自分の時間が取れないってよく言うじゃないですか。自分的には子育ての方を優先して考えたいんですよね。

豊崎 お仕事は肉体労働でしょ? 朝早いんですか?

大田 朝はめっちゃ早いんですけど、終わるのも早いっす。自分は会社の近所に住んでるんで、十六時にはジョナサンで書き仕事をしてます。で、だんだん動きたくなってくるから、そうすると帰ります。貧乏揺すりとか激しくしちゃうし、机もばんばん叩いちゃうんで。身体が帰れって要請してきたら、帰る感じです。

豊崎 じゃあ、割と毎日何かしら書いてる生活なんですね。

大田 そういう生活にするように最近しました。っていうのも、すばる文学賞の授賞式で金原ひとみさんとめっちゃ話したんですよ。金原さんすげえいい人だから、自分のこと励まそうとしてくれて、「私だって一日一二〇〇字くらいしか書けないときあるから大丈夫だよ」って言ってくれたんすけど、毎日最低一二〇〇字は必ず書いてるってどういうことだよって(苦笑)。自分なんて何も書いてない日の方が多いんだけど……ってパニックになりました。やっぱ小説家は毎日書くべきなんだなと決意を新たにしたんです。

豊崎 『みどりいせき』を読んだ読者は大田さんの次作をすごく楽しみにしてると思いますから、「一日一二〇〇字」を目指してがんばってください。ところで、次はどんな作品を書こうとしてるんですか?

大田 今回は高校生の話だったじゃないですか。次はもうちょい自分の社会的な肩書き、二十八歳の男に近い小説を書こうと思ってます。『みどりいせき』のときは書く作業自体は辛かったけど、内容は自分でも楽しめました。ただ、次の作品は自分との距離が近いんで、書いてて疲れるんですよね。楽しいは楽しいですけど、自分で書いてる文章に自分の心を削られるって感じがします。だからこれを読む人はどんな気持ちになるのかなって思いながら書いてますね、今。

豊崎 年内には発表できるといいですね。

大田 任せてください。子どもが産まれるまでには初稿を書き上げたいんで、年内には発表できると思います。すばる文学賞に応募するときもそうでしたけど、自分は締め切りがあった方が頑張れるタイプです。

豊崎 じゃあ、その日を楽しみにしてます。

大田 ぜひ、よろしくお願いしまっす!

(2024.3.13 池袋にて)

「すばる」2024年7月号転載

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