教師の〈工夫〉に頼るべきではない

それからもうひとつ。

教育現場におけるICT(情報通信技術)の活用問題についても踏み込みが足りない。本書が成功例のひとつとして示すのは、卒業アルバム作りだ。

〈この小学校が2020年度に導入したのは、ITベンチャーが開発したオンラインサービス。大量の写真をクラウド上にアップすると、AIによる顔認証で、児童それぞれがどの写真に何回写っているかを読み取り、集計してくれる。費用は児童1人あたり年間300円ほど。導入後は、オンラインでできるので教員やPTAが集まる必要はなくなった。おのおのの作業時間も半分ほどに減った〉【2】

この他、専用ソフトで授業計画を作ったり、教職員間の連絡にLINEを導入した事例などが紹介されるが、民間の事業者に児童たちの大量の写真データを渡して顔認証させることや、個人情報の管理が不十分だった企業のアプリを、個々の教師や学校の判断のみで導入を決めている(決められる)意思決定の構造自体が、公立学校という巨大な母集団の新陳代謝を阻んでいる元凶のようにも感じられる。

次々に辞めていく公立学校の教師たち…本当に「残業代なし」が離職の原因なのか?【〈ノンフィクション新刊〉よろず帳】_4
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このあたりの事情は、佐藤明彦『教育DXと変わり始めた学校』(岩波ブックレット)に詳しい。同書にあって、本書に欠けているのは「学校のデジタル化に対する国の政策」をめぐる解説だ【7】。

本書では、教師たちの個人的な工夫と愚痴が申し訳程度に書かれているだけで、(核としての生徒、周縁としての教員の双方に関連する国の)ICT政策と補助金、その結果について取材をおこなった形跡が見当たらない。

〈一部のデジタルの強い教員が自由に取り組むことで、「これは便利だ」と周りの人に自然に広がる。管理職はリスクに配慮しつつ後押しする。教員が授業や生徒指導などの本業に専念するため、そんな好循環が理想だ〉【2】

「教師個人の頑張りに倚りかかってはダメだ。全体のシステムを変えろ」と主張しているはずの本の末尾がこれでは、あんまりではないか。おまけに、この、何も言っていないに等しいコメントすら朝日新聞取材班の見解ではなく、教育評論家の言葉なのである。新聞記事なら玉虫色でも構わないが、一冊の本として上梓する際には、もうすこし肚を決めてもらいたい。

今回は朝日新聞取材班『何が教師を壊すのか』を入口に、いくつかの関連書籍を紹介したが、現在のところ、中澤渉『学校の役割ってなんだろう』(ちくまプリマ―新書)が出色の一冊である。

文/藤野眞功 写真/shutterstock

【1】『何が教師を壊すのか』のカバーから引用。

【2】〈〉内は、「何が教師を~」から引用。

【3】橋本陽子『労働法はフリーランスを守れるか』(ちくま新書)より引用。

【4】高橋哲+長谷川聡『聖職と労働のあいだ――教員の働き方改革の法的問題と展望』を参照。
https://senshu-u.repo.nii.ac.jp/record/2000046/files/3071_0067_06.pdf

【5】「何が教師を~」では、残業代を要求する第一の理由は金ではなく〈残業抑制〉にあると記しているが、それが「建前」でないのなら、彼らの金銭事情について一定の言及があってしかるべきではないか。

【6】内田良『教育現場を「臨床」する 学校のリアルと幻想』(慶応義塾大学出版会)。〈〉内は、同書より引用。

【7】佐藤は、都道府県や自治体ごとに任されているデジタル端末の整備や活用状況によって生じる「公立学校における学習環境の格差」を一定程度はやむを得ないものと考えているようだが、評者は、学校のデジタル化(施設としての学校、教師、生徒のすべてを含む)は、都道府県や教育委員会が独自の判断でバラバラにおこなうものではなく、その端末およびソフトの開発選定も含めて、国が一元的におこなうべきだと考えている。デジタル化をめぐる権限については、教育委員会制度も改革されなければならないというのが、評者の立場である。