お笑い芸人の地位を劇的に上げた

ひと昔前までは「明るく楽しいクラスの人気者」のようなタイプの人が芸人に向いていると思われていました。松本さんはどちらかというと根暗で内向的なところがあり、決して明るい性格ではありません。でも、そんな松本さんが発想力とセンスを武器にして成り上がっていったことで、「ボソッと面白いことを言う内向的な人間」こそが面白いのだという価値観が生まれて、それが広まっていきました。

1980年代のバブル期まではお笑い界でも勢いやノリ、明るさが重視されていました。だから体育会系や運動部で明るく楽しくやっているキャラクターが強かった。代表的な例がとんねるずです。
でも、松本さんは自分の中にそういう資質がないことをわかっていたし、若い頃はそういう人たちにコンプレックスも抱いていました。明るくてスポーツができて女性にモテる男が偉いという風潮に逆らって、本当に面白いことさえできればその価値観を全部ひっくり返せると考えたのです。自分が勝てる武器としてお笑いを見つけたのでしょう。

その価値観を広めて世間に定着させたことで、松本さんのカリスマ性も高まりました。その結果として「松本がやっていることだから面白いはずだ」「理解できないほうが笑いのセンスがない」とまで考える人も出てくるようになりました。笑いに関する信頼感を得て、松本さんが絶対的な笑いの基準になったのです。

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『M-1グランプリ』(朝日放送)では、芸人も視聴者も全員が松本さんの評価を気にしています。ほかの審査員の点数がよくても、松本さんに低い点数をつけられたら芸人は深く落ち込みます。でも、評価してもらえれば、たとえ負けてしまったとしても、「アイツらは面白いヤツだ」と思われてその後の仕事につながります。そのくらい松本さんの目線が絶対的なものだったんです。

松本さんのカリスマ的な魅力が世間に広まったのは『遺書』『松本』(ともに朝日新聞出版)というベストセラー本の影響もありました。ここで披露された松本さんの笑いに対する哲学や思想のようなものは、これ以降に出てくる芸人に大きな影響を与えました。松本さんのスタイルに憧れて「信者」を自認する芸人は今でもたくさんいます。

ただ、これらの本で書かれていた攻撃的で挑発的な言葉は、松本さんにとってはお笑いの地位を上げるためでもあったそうです。当時は芸人が世間から軽く見られていて正当に評価されていなかった。そこで、松本さんはあえて笑いというものはどれほどすごいのか、というのを強調することで、芸人の評価を高めようとしたのです。

実際に芸人の地位は劇的に上がりました。かつては芸人は「イロモノ」として歌手や俳優に比べて下に見られがちでしたが、今では「芸人は笑われるものじゃなくてカッコイイものだ」「面白いことがカッコイイ」という価値観が当たり前になっています。この変化は間違いなく松本さんの存在があったからでしょう。

いずれにしても、松本さんの芸や思想は、さまざまな形で受け継がれており、下の世代の芸人はみんながそれを当たり前のように実践しています。松本さんが切り開いてきた笑いの価値観は、本人の手を離れても日本の文化のひとつとして受け入れられ、根づいているのです。

文/ラリー遠田

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