メガロサミアとアイソサミア

さて、フクヤマの議論を興味深くしているのは、彼が二種類の気概を区別している点である。まず、「自分の優越性を認めさせようとする欲望」を彼は「メガロサミア(megalothy­mia)」(優越願望)と呼ぶ。それに対し、「他人と対等なものとして認められたいという欲望」が「アイソサミア(isothymia)」(対等願望)である(フランシス・フクヤマ『新版歴史の終わり下』渡部昇一訳、三笠書房、2020年、28頁)。

そして、フクヤマによれば、自由民主主義のもとではメガロサミアが禁止され、アイソサミアが前景化する。つまり、優越願望が地下に潜伏し、対等願望が幅をきかせているのが現代の民主社会の特徴なのだ。より最近の著作でも同じ議論が展開されている。

近代民主主義台頭の物語は、アイソサミアがメガロサミアに取って代わる物語だといえる。少数のエリートだけを承認する社会が、だれもが生まれながらにして平等だと認める社会に変わったのである。(フランシス・フクヤマ『IDENTITY』山田文訳、朝日新聞出版、2019年、44頁)

民主主義のもとでは、もはや誰かを打ち負かすことが目的ではない。誰もが同じ権利を享受することが何よりも重視される。これは、第三章で取り上げたチャールズ・テイラーの物語とも重なるものだろう。

社会的に優位な位置にいるはずのマジョリティが、自分より不利な位置にいるマイノリティの成功を妬むのはなぜか?_3
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水平化の行く末

平等化のもとで対等願望だけが満たされるとき、人々は幸せになるのだろうか。確かに、優位や劣位が強調されないことで、今よりもはるかに生きやすくなる人もいるに違いない。
ここで興味深いのは、平均人が偉人並みに優れた社会といったユートピアを率直に表現したトロツキーの以下の文章である。

人間ははるかに強靭、賢明、繊細になる。肉体はもっと調和がとれ、動作はもっと律動的に、声はもっと音楽的になる。人間の平均的タイプがアリストテレス、ゲーテ、マルクスの水準にまで高まる。この山脈の上に新たな高峰が聳え立つのだ。(トロツキー『文学と革命Ⅰ』内村剛介訳、現代思潮社、1975年、236頁)

トロツキーは、万人が偉人の高みに達するような未来像を描いていた。しかし、このような未来にあって、人々が自身の能力に満足するとは限らない。

というのも、このトロツキーの文言を引用したロバート・ノージックが「この尾根にいることはもはや、言葉を話す能力や物をつかめる手を持つこと以上に、皆に自尊心や個人としての価値の感覚を与えはしないだろう」(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』404頁)と言ったように、人々はいくら高い知性を持っていたとしても、万人がそれを持っているとき、それを特別なことと思わないからである。

だとすれば、キルケゴールやフクヤマが指摘した、(アリストテレスやゲーテらよりもはるかに低い水準での)現代の水平化=平等化が、人々に新たな不満足を引き起こしているとしても不思議はない。

それでは水平化のはてに、私たちの嫉妬感情は去なされただろうか。現代の民主社会において人々の嫉妬心がなくなったかというと、もちろんそうではない。むしろそれは、かつては英雄やカリスマといった明らかに優位な者に向けられたものから、対等な隣人同士の嫉妬心へと変形してくすぶり続けているだろう。

そして本書が繰り返し指摘してきたように、しばしば差異の縮小が嫉妬の爆発を招くとすれば、現代の嫉妬がより陰険なものであることは疑いえない。それは民主主義の宿痾のようなものとして、私たちがたえず向き合わざるをえないものと考えるべきである。

引用
*1より詳しい手続きについては、Sara Forsdyke, Exile, Ostracism, and Democracy: The Politics of Ex­pulsion in Ancient Greece(Princeton University Press, 2005, Chap.4)を参照。
*2平等の要求と嫉妬感情の関係についての最近の研究として、Jordan Walters, “The Aptness of Envy”(American Journal of Political Science, Vol.1 No.1, 2023)を挙げておこう。


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嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する(光文社新書)
山本圭
嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する(光文社新書)
2024/2/15
946円(税込)
256ページ
ISBN: 978-4334102241
嫉妬感情にまつわる物語には事欠かない。古典から現代劇まで、あるいは子どものおとぎ話から落語まで、この感情は人間のおろかさと不合理を演出し、物語に一筋縄ではいかない深みを与えることで、登場人物にとっても思わぬ方向へと彼らを誘う。それにしても、私たちはなぜこうも嫉妬に狂うのだろう。この情念は嫉妬の相手のみならず、嫉妬者自身をも破滅させるというのに――。(「プロローグ」より)政治思想の観点から考察。
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