かつての「笑点」の司会者も、キラリと光る素敵なバカだった

「ぼくは司会者を5人送ってる。そのたびに香典代が3万円ずつですよ……」というのは、「笑点」や寄席でよく言っているネタのひとつです。いや、ホントのことなんですけどね。最初から順に、七代目立川談志さん、前田武彦さん、三波伸介さん、五代目三遊亭圓楽さん、桂歌丸さん。みなさん、お亡くなりになりました。

過去の司会者をご紹介しましょう。さすがというか、キラリと光る素敵なバカぞろいです。たくさんのことを学びました。みなさんの記憶にはっきり残っている順ってことで、新しい方から順にさかのぼっていきます。

林家木久扇師匠 撮影/野﨑慧嗣
林家木久扇師匠 撮影/野﨑慧嗣

桂歌丸さんは落語と横浜とチャンバラを深く愛していた

まずは前の司会の桂歌丸さん。番組が始まったときからの大喜利メンバーで、途中、立川談志さんと意見が対立して半年ぐらい抜けてましたけど、そのあとまた戻って、2006(平成18)年までは回答者でした。そのあと司会を10年おやりになって、番組50年のタイミングで勇退なさいました。2018(平成30)年にお亡くなりになりましたが、その後も「永世名誉司会」の肩書を背負ってらっしゃいます。

あの方は「横浜バカ」でしたね。玉置宏さんから引き継いで「横浜にぎわい座」の館長をやったりとか、生まれ育った横浜をとても大事にしていました。にぎわい座でぼくと木久蔵の親子会をやったときは、とても喜んでくれましたね。

会話に「横浜」って単語を入れるだけで、ニコッと笑うんです。「横浜のシウマイ弁当おいしいですよね」なんて言ったら、「そうそうそうそう!」ってすごく嬉しそうな顔をして。

あまり表には出していませんでしたけど、ぼくと同じ「チャンバラバカ」でもあったんです。映画が全般的にお好きだったんですけど、とくにチャンバラが大好きでした。このあいだ歌丸さんのご長女が、ぼくのところにチャンバラ映画のVHSのビデオを段ボールに3箱くださったんです。なかには封を切ってないのもありました。いつか見ようと思って買ってたんですね。

チャンバラのイメージ 写真/Shutterstock.
チャンバラのイメージ 写真/Shutterstock.

落語に対する情熱は言わずもがなで、古典落語を一生懸命に勉強して、自分だけの「歌丸節」を確立したのはすごいことです。ただ、若い時分から病気をたくさん抱えていて、お酒は飲まなかったんですけど、薬をたくさん飲んでました。病院もしょっちゅう行ってるから、あそこの病院はどうだこっちはどうだって、やたら詳しかったですね。

収録後のお蕎麦屋さんの打ち上げがあった頃も、そこには参加しませんでした。付き合いが悪いわけではなく、身体をかばっていたんだと思います。