東大教員の東大女性論

そのようななかでも、女性の大学生について積極的に論じていたのは教養学部の教員であった中屋健一である。東大文学部を卒業し、戦前から戦中にかけてはジャーナリストとして活動し、戦後は長らく教養学部でアメリカ史の教員として活躍した中屋は、日本の大学や社会に関しても多くの論考を残した。

1958年に出版された『大学と大学生入学から就職まで』(ダヴィッド社)では、東大をはじめとする日本の大学と大学生の現状を批評していた。もともと新聞などに発表されたエッセイを集めたもので、学術書ではないが、それだけに当時の社会状況に関する中屋の時事的な本音が率直に記されている。

その頃、中屋は東大の助教授であったが、知り合いに頼まれて、ある私立女子大の臨時講師としてもアメリカ史を教えていた。その経験をもとに、女子大を厳しく批判するようになる。

同書によれば日本の女子大は「花嫁学校」に過ぎない。施設はきれいでも、図書館は貧弱で、教員の「学門的水準は普通の大学と比べてはるかに低い」。学生を「甘やかし」、でたらめな教育をしている。学生の側も概して目的意識が希薄で、真面目に勉強をしようとしない。「卒業論文なるものは、少数の例外を除いて、論文ではなく作文にすぎず、中にはお伽話みたいなものもある仕末である*18」。

中屋にすれば、そのような学生が就職難に直面するのは当然のことだった。「女子学生は男女共学の大学を卒業したものでも、実力の点において男子に劣っているという一般的な事実」があるから就職先を見つけるのが難しいのは仕方がない。「いわんや、女子大学のように、女子だけ集めて甘やかして教育しているような学校の卒業生」は使いものになるはずがないと厳しく批判していた。

写真はイメージです
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その一方、中屋は東大の女性は例外的に優秀であることを強調していた。「公務員、ジャーナリズム関係、教員、学者など」「男女の差別待遇は全くないはず」の分野で現に東大卒の女性は就職し、活躍していると誇っている。中屋によれば、「要するに、女子に適する職業さえ選べば、そしてその学生の実力が充分であれば、就職難などというものはあり得ない」のだった。

東大卒の女性は社会で活躍できているのだから、他大学の女性学生が就職に苦労しているとすれば、あくまで本人の資質の問題であり、社会構造に起因するものではないと中屋は考えていた。実際には東大の女性学生も就職にひどく苦労していたわけだが、そのような実情は把握していなかったようである。