ノーパンブームは長く続かず

世はまさに“ノーパン”ブーム。影野氏は当時の熱気をこう説明する。

「ノーパン喫茶、発祥の地の大阪では最盛期は140軒を超え、一足遅れた東京都内でも歌舞伎町を中心に200軒もの店が開店し、一説によれば、全国では1000軒近くのノーパン喫茶ができたと言います。サービスもどんどん過激になっていき、トップレス喫茶や前貼り喫茶なんてものまで登場しましたからね。男たちの欲望が街を大きくしたんだなと、今やなつかしい思い出ですね」

影野氏に案内してもらった、かつて人気だったノーパン喫茶「USA」跡地。現在は風俗店に
影野氏に案内してもらった、かつて人気だったノーパン喫茶「USA」跡地。現在は風俗店に

1981年4月23日発売号の「週刊明星」では、ある女性記者がノーパン喫茶に潜入した体験ルポを掲載。同記事では新宿警察署副所長が「私服警官に視察させていますが、今のところヒッカカる店はないようです。しかし、捜査費がかさみますよ、アレは」と述べており、当時の風営法では取り締まりようがないと頭を抱えていたようだ。

「週刊明星」(1981年4月23日発売号)に掲載された女性ライターによるノーパン喫茶潜入ルポ
「週刊明星」(1981年4月23日発売号)に掲載された女性ライターによるノーパン喫茶潜入ルポ

まさに時代を彩ったノーパンカルチャーだが、影野氏によれば、「そのブームは長く続かなかった」という。

「歌舞伎町にノーパン店が上陸してから数年後の1985年2月13日に施行された新風営法によってノーパン喫茶やのぞき部屋、個室ヌード店などが新規開業できなくなった 。これによって、ノーパン店は激減することになります」

歌舞伎町に現存するノーパン店
歌舞伎町に現存するノーパン店

エリート金融マンたちの接待の場となった楼蘭はどんな最期を迎えたのか。前出の阿藤さんは言う。

「“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”で大蔵省検査官2名が逮捕された翌日、楼蘭も家宅捜査され、2名のホステスが公然猥褻容疑で警視庁に逮捕。その後、ひっそりと閉店してます。その2、3年後に同じ店名で営業が再開されたので何度か行きました。システムはあまり変わっていませんでしたが、カメラやテレビは撤去されていてペンライトの販売もしていませんでした。その後、いつまで続いてたのかはわからないですね」

楼蘭が入っていたビル。同テナントには現在ホストクラブが入っている
楼蘭が入っていたビル。同テナントには現在ホストクラブが入っている

令和になった現在、楼蘭の入っていたビルを訪れると、地下2、3階にはホストクラブが入っていた。ホストクラブが社会問題になっている昨今、このビルにうつろいゆく歌舞伎町の一面を見た気がした。

 

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班