ギリシャ語を広めた
アレクサンドロスの東方遠征

佐藤 話をアショーカ王の使節に戻しましょう。あの時代にペルシャ経由で西側にインドの思想が入るのは、まったく不思議ではありません。古代でも、情報のコミュニケーションはかなりありました。

本村 とくにヘレニズム時代はそうなんですよ。そのため、いろいろな宗教が混淆するシンクレティズムも起きました。その土台をつくったのは、やはりマケドニア王のアレクサンドロスです。

アレクサンドロスの東方遠征はとても有名ですね。マケドニア王として中心となり、ギリシャ人と連合しながら、彼はペルシャ帝国などの東方にある地域を征服しました。オリエントからアフガニスタン、インドの近くまで、広大な土地を帝国の支配下に置いたのです。

佐藤 しかしアレクサンドロスは、インドには入りませんでしたよね。なぜあそこで西に引き返しちゃったんですか。

本村 中央アジアからインドに向かって、インダス川を越えたあたりで部下に反対されたんですよね。ガンジス川のほうが豊かだという情報は入っていたんですが、兵士たちがもうついてこなかった。アレクサンドロスが「反対しているのはほんの一部のやつらだけだろう」と将校を怒鳴りつけたけど、兵士たちも怒り出したという伝説が残っています。それで彼も、これ以上は先に行けないと悟りました。

しかしアレクサンドロスが広い範囲に遠征したことで、ギリシャ語を介した情報が各地に行き届きました。アショーカ王の碑文が書かれたのはアレクサンドロスの東方遠征から80年後ぐらいですが、現地語とギリシャ語の両方で書いてあります。

それが、いまのアフガニスタンあたりにも残っている。そのあたりまでギリシャ語が通用するようになっていたということです。ちなみにギリシャ語とアラム語の2言語で書かれたものもあるんですよね。

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アレクサンドロス大王
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佐藤 それによって、アラム語の解読が進んだんですよね。

本村 そうです。ギリシャ語の対訳つきということですから。ギリシャ語はラテン語と違って冠詞があるおかげで、言葉の意味をきちんと定義できます。それもあって、ロジックが曖昧にならず、正確なコミュニケーションができる。そういう言語が広まったことで、人や文化の交流が大きく進展しました。

シンクレティズムも、そういう交流の結果です。さまざまな宗教が混ざっていったわけですから、仏教がのちのキリスト教の一部になったとしても、まったくおかしくない。

佐藤 そう思います。しかしこの本を読んで面白いと思ったのは、キリスト教との類似点があるという意味では、仏教ではなくジャイナ教でもよかったということでした。

本村 不殺生などは、ジャイナ教も同じですからね。それにジャイナ教は、禁欲的な苦行というものをかなり徹底するというところもあります。

佐藤 では仏教とジャイナ教は何が違うかというと、後者は厳しすぎたんですね。ジャイナ教の場合、飛んでいる虫を口で吸い込まないように、マスクを着用しなきゃいけなかったりしますからね。

本村 たしかに、厳しすぎる教義があるとなかなか外の世界には広まりません。

佐藤 仏教の場合は、厳しい修行を専門とする上座部と、あまり厳しさを要求されない大乗というハイブリッド戦略をとったところに強さがあると思います。もちろん、「イエスは仏教徒だった」とか「仏教の教えがそのまま聖書に取り入れられた」などと単線的につなぐことには疑問がありますが、もっと緩やかな形のつながりを考えるなら、仏教の考えがキリスト教に生きていると言うことはできるでしょう。

それは、聖書学者も否定できないと思いますよ。この『イエスは仏教徒だった?』という本も、聖書学の成果を踏まえたまっとうな議論をしています。実証はできないけれど確実なことと想定される「原歴史」というキリスト教の考え方に立脚しているので、いわゆる「トンデモ本」ではありません。

たとえば柄谷行人さんの『遊動論~柳田国男と山人』(文春新書)も、おそらくキリスト教の原歴史という考え方を使いながら柳田国男に言及したと思うんです。室町時代より前のことは実証できないけれど確実にあったと言えるものがある、といった書き方をしている。それとこの本はよく似ています。


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