江戸時代に実在した料理「玉子ふわふわ」とは?
―― 小説の書き方はどうやって身につけたのでしょうか。
まず小説の書き方の本を読みました。その中に、我流では絶対に作家デビューはできないと書かれていて、その本を書いた先生の小説講座に通うことにしたんです。でも、講座に通っても一年ぐらいは書けませんでした。生徒が書いた小説を二、三枚ずつ回し読みして、最後に先生が講評するんですけど、厳しい目で読まれることに耐えられそうになくて。一年ぐらいは人の作品を見て、それから提出するようになりました。
―― 四十代になって、小説を書こうと思った時に、こういう小説を書きたいと、すぐに思い浮かんだんですか。
なかったですね。最初はなんとなくミステリかな、くらいでした。
―― 時代小説を書くことになったのはなぜでしょう。
たまたまルアー釣りのルーツが日本にあることを知ったことがきっかけでした。餌の木と書いて餌木というんですけれど、ライター時代に餌木の歴史を調べている先生に取材したことがあったんです。江戸時代にお殿様が作らせた餌木の写真を見せてもらったら、目に純金が入っていて印象的だったんです。その話を小説講座の先生にしたら、「あなた、ミステリは書けそうにないから、時代ものを書いたら?」と言われて。その時は参ったなという感じだったんですけど。
―― それまで時代小説を愛読していたというわけではないんですね。
ほとんど読んでいなくて、藤沢周平を読んだことがあるくらいでした。
小説講座で時代ものを書き始めて、すぐに先生が薦めてくれたのが隆慶一郎の『死ぬことと見つけたり』でした。「葉隠」の思想を体現したような武士たちが幕府と戦う話ですが、「とてもこんなすごい作品は書けないので時代小説を書くのはやめます」と先生に言ったくらい衝撃を受けました。文章力もですが、ところどころで笑わせてくれる緩急のリズムが絶妙で。隆慶一郎には遠く及ばなくても、土臭くて骨のある時代小説を書こうと決心しました。
それで、餌木のことを調べ始めて、三、四年書いては直し、書いては直しした作品がある文学賞の最終候補に残ったんです。これからは時代小説で頑張ろうと腹をくくりました。
―― 時代小説にどんな魅力を感じましたか。
電話もメールもなくて、話したかったら会いに行くしかない時代って面白いなあと。お手紙を書く手もあるんですけど、字の書けない人のほうが多かったので、代筆屋がいました。私は文明の利器に明るくないほうなので、江戸時代のことを調べていくうちに楽しくなってきたんです。ちょうど同じ頃に落語を聞きに行くようになったこともあり、江戸にどんどんハマっていきました。
―― 落語では柳家喬太郎師匠の大ファンだとうかがっています。『我拶もん』には落語の題材にもなりそうな江戸の庶民の生活も描かれていますね。居酒屋とか、そこで出る料理とか。「玉子ふわふわ」という料理が美味しそうでした。
玉子ふわふわって、名前がかわいくないですか。当時本当にそういう名前だったので、どこかで使いたいなと思ったんです。古本市に行くと、江戸の料理帳みたいなレアな本がぽっと置いてあったりします。有名なものでいうと、豆腐料理だけのレシピが百種類載っている『豆腐百珍』とか。そういう本を読むのが大好きなんです。
王道の真逆を行って、書きたいものを書く決意
―― 小説を本格的に書き始めて十年ぐらいですか。
数えてみたら、大体実働で七年弱ですね。三年くらいは遊んでいたことになります。遊んでいたというか、拗ねてました(笑)。
文学賞に応募して、一次や二次で落ちると、その年はやる気がなくなってしまう。だからロスタイムがけっこうあるんです。一昨年、小説すばる新人賞の一次も通らなかった時は、九月から年末まで純文学だけ読んでました。もうエンタメなんか読まないと(笑)。年が明けて、ようやく書きかけていた『我拶もん』を急ピッチで全面改稿したんです。
多分、自分自身が桐生みたいな、目の前が真っ暗な状態だったんだと思います。改稿している時にテーマがはっきりとしてきて、改稿前は、ただただ桐生が暴れていたという感じでしたが、改稿していくうちに、桐生と一緒に私も這い上がりたい、一緒にこの状態から出ていきたいという気持ちになっていったんだと思います。テーマが定まると、自然に、最初の原稿にはいなかった登場人物が出てきました。
――『我拶もん』は、これまで書いてきたものと違いがあると思いますか。
今までは、テーマをあまり考えてなかったなと思います。資料でこれ見つけた、こんなネタがある―― それで小ぎれいにまとめていた気がします。
『我拶もん』は主人公・桐生の転落からの再生へというテーマがあって、それはこれまでにもたくさん書かれてきた物語のパターンだとも言えるんですけど、でも、それを私はいま読みたいんだ、と強く思えたんですね。これを書きたいんだと。そこがこれまで書いてきたものと決定的に違うと思います。
―― その思いは文章からも伝わってきました。これからどんな作家をめざそうと思われていますか。
今回、陸尺というあまり知られていない職業の人を主人公にしましたが、これからもきっと、いわゆる王道と呼ばれるものの真逆をずっと行く気がします。私が興味を持つものと、読者の興味が重なるかどうかは不安なんですが、それでも、これが書きたいというものを書いていきたいです。
その上で常に意識したいのは、カタルシスがある物語を書きたいということです。小説だけが持つカタルシスがあるとしたら、ぜひとも形にしたいです。読者が私の書いた小説を読んで肩の力を抜いてくれたり、いい気分になってくれたり、くすっと笑ってくれたら、うれしいですね。