日朝間の秘密交渉を担ったキーマン
複数の日本政府関係者によると、外務省が保衛部との関係を築いたのは2000年ごろ、槙田邦彦氏がアジア局の局長を務めていた時代だったとされる。保衛部の窓口は課長の肩書を持つ「キムジョンチョル」と名乗る男性で、2000年8月に日本で行われた日朝国交正常化交渉の際に交渉団の一員として来日した経験があるとの情報もある。その上司は「柳敬(リュギョン)」と名乗り、肩書は保衛部の副部長だった。
その人脈を引き継いだのが2001年にアジア大洋州局長に就任した田中均氏で、2002年の日朝首脳会談の実現に向けて事前に行われた秘密交渉を担った。日朝首脳会談後も日本政府は田中氏のカウンターパートである柳氏の名前を伏せ続けたことから、メディアなどの間では「ミスターX」と呼ばれた。
外務省は2002年以降も担当者を替えながらこのパイプをつなげてきた。柳氏が粛清された後の一定期間は関係が途絶えたが、その後に復活。「キムジョンチョル」と名乗る男性と定期的に中国や東南アジアで面会し、コンタクトを取ってきた。2014年当時はその任を小野啓一・北東アジア課長が担っていた。小野氏はキム氏と接触し、横田さん夫妻とウンギョンさんの第三国での面会に向けた交渉を持ちかけた。
50代になったキム氏の肩書は以前と変わらず、小野氏と同じ「課長」だった。交渉には北朝鮮側からキム氏の上司である「参事」の肩書を持つ人物が加わり、日本側も伊原純一・アジア大洋州局長が同席した。北朝鮮の在外公館がある中国やベトナムなどで、通訳を交えて2対2の秘密協議が重ねられた。
「参事」は、トップと直接コンタクトを取ることが可能な「二代目ミスターX」なのか。
田中氏の交渉相手だった柳氏は副部長の肩書で、協議の場で日本側の要求に即答することもあり、ある程度の裁量権を与えられているようであった。一方、この「参事」は日本側の提案にその場で意思を示すことは少なく、「本国に持ち帰る」として回答を保留し、次の協議で北朝鮮側の考えを伝えてくることが多かったという。
「柳氏ほどの権限はないのではないか」。秘密交渉を知り得る立場にあった首相官邸と外務省のごく一部の関係者の間にはそのような評価もあったが、再び国家安全保衛部の幹部が折衝の場に出てきたことから、正恩氏が本気で対日交渉に臨もうとしているのではないかとの期待感があった。