被害者の帰国巡る北朝鮮との駆け引き
首脳会談の11日後、9月28日に日本政府の調査団(団長・斎木昭隆・外務省アジア大洋州局参事官、11人)が平壌入りした。調査団は面会する相手が被害者本人で間違いがないかどうかを確認するために、事前に蓮池さん夫妻や地村さん夫妻の両親と会い、本人の特徴やエピソードなどを聞いてから訪朝した。
北朝鮮は日本に住む被害者の家族に訪朝を呼びかけ、再会させるつもりだったようだ。
「まずは家族を共和国に来させるように話せ。拉致問題への言及があった場合は、過去の植民地支配をもって反論せよ。ただし、激論は避け、いい関係を保つように」
薫さんが北朝鮮当局から指示された日本政府調査団との面談時のシナリオは、このような内容だった。再会した際に「日本に帰ってこい」という両親らをどう説得したらいいか。北朝鮮当局は、薫さんら被害者の意見も参考に検討していた。
実際に薫さんら被害者5人は調査団との面会聴取やビデオ収録で、「北朝鮮へ来て欲しい」と両親らに呼びかけた。日本にいる家族からは当然ながら、「北朝鮮に言わされているのではないか」「相手に連れて行かれたのに、こちらから引き取りに行くのはおかしい」といった疑問の声があがった。
家族会は訪朝を見合わせ、あくまで被害者の帰国を求める方針を決めた。
日本の家族の対応が功を奏し、10月に入ると、北朝鮮は日本政府に対して「5人の一時帰国を認める。日程は今月15日」と伝えてきた。指導員は薫さんに「日本に帰る気持ちはあるか」と尋ねた。
薫さんが「日本には行けないし、行かない。家族を呼び寄せるということで準備をしてきたのにどういうことだ。日本に行く目的は何か」と聞き返すと、「ただ、行って帰ってくるだけでいい」と言われたという。やりとりは約2時間続き、最後に指導員はこう言った。
「日本側が先生(薫さん)の一時帰国を要求しているので、日本に里帰りして来て欲しい。実はこれはもう決まったことだ。そうするしかない」
指導員はなぜ、始めから「一時帰国」が決まったことを明らかにしなかったのだろうか。薫さんは、自分の本当の気持ちを探るために再び、カマをかけてきたのかもしれないと感じたという。指導員は「子供も一緒に連れて行ってはどうか」とも言った。薫さんは「とりあえず、我々だけ(薫さんと祐木子さん)で行ってくる」と答えた。もし、この時に「子供も一緒に」と言っていたらどうなっていたのか。薫さんは、北朝鮮が何らかの理由をつけて、自分自身の帰国も許さなかったのではないかと考える。
保志さんも、「子供は置いていく」と伝えた。子供は連れて行ってもいいという口ぶりだったが、北朝鮮当局者の本心はわからなかった。
文/鈴木拓也
構成/集英社オンライン編集部ニュース班
写真/朝日新聞社