拉致隠蔽のため用意された“台本”
指導員からは、日本に帰国した際に説明するための「台本」が用意された。「拉致されたのではなく、モーターボートが故障して沖で漂流しているところを救助された。北朝鮮で治療を受けているうちに、この社会はいいと思うようになった。日本人ということが周知されると何をされるかわからないので、在日朝鮮人と偽って定住するようになった」とのシナリオが用意されたのだ。
指導員と一緒にこのシナリオの内容を真実性があるように練り直し、質疑応答の練習も繰り返したという。薫さんは「『救助された』と言っても、日本側には通用しません」とも進言したが、この時点では聞き入れられなかった。「拉致された」という事実は伏せるように指導された。
このことは、薫さん自身も著書『拉致と決断』(新潮文庫)の中などで明らかにしている。
保志さんにも「海上で衝突事故を起こし、漂流していたところを救助され、在日朝鮮人と偽ってそのまま生活することになった」とのシナリオが用意された。保志さんは、それでは疑問を持たれると指導員に進言し、自ら「暴力団とトラブルになり、連れてこられた」とのストーリーを考えたところ、採用されたという。
6月になり、蓮池さん夫妻と地村さん夫妻は、約2年間を過ごした「双鷹招待所」から平壌市内のアパートに引っ越すことになった。「そこに住むのは一時的であり、一連の動きが終われば、もっといいアパートに住まわせる」と言われた。北朝鮮は、被害者を帰国させるつもりはなかったのだろう。ここでも、シナリオに基づく質疑応答の練習を続けた。
8月に入り、蓮池さんらは指導員から小泉首相の訪朝が決まったと伝えられた。その後、「日本政府の代表団と会うことになるかもしれない。会う際には蓮池薫、奥土祐木子であることを明らかにしてもよい」と言われた。
この頃になると、拉致は認めないとの当初の方針から転換しつつあるようだった。日本側から「拉致されたのか」と聞かれたら、こう答えるように指示されたという。
「肯定も否定もせずに、『想像に任せる』と言って適当にはぐらかすように。『詳しい内容については後で話す』と言うように」
拉致を認めるべきか、否定すべきか。北朝鮮が日朝首脳会談を控え、最終的な判断を決めかねていたことが窺える。薫さんは当時の心境について、日本政府に「その時は部分的ながら本当のことが言えるということで、気が楽になった。ただ、子供たちへの影響が心配だった」と話している。