一転して拉致を認めた北朝鮮

9月17日の首脳会談当日。薫さんらは平壌中心部の高麗(コリョ)ホテルの向かいにある施設で朝から待機した。午後になり、日本外務省の梅本和義・駐英公使と面会した。

首脳会談で金正日氏は「1970〜1980年代初めまで、特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこういうことを行った」と述べ、拉致を認めた。保志さんは直前まで受けていた指示内容から考えると、指導員らは拉致を認めることを知らされていなかったのではないかと感じた。この時点では、薫さんも日本に帰国できるとは思っていなかったという。

久しぶりに日本から来た日本人と話が出来てうれしいと思う一方で、今後も北朝鮮で生活していくために、北朝鮮の公民としての立場を守るべきであるという気持ちから、梅本公使には警戒感を抱きながら慎重に言葉を選んだという。

「暴力団に連れてこられた」「漂流中に救助された」初の日朝首脳会直前、拉致被害者に“隠蔽シナリオ”を強要した北朝鮮の謀略。二転三転する指示から見える“行き当たりばったり”戦略とは_3
外務省の外観

首脳会談の結果、日本政府が日本人拉致の事実関係を調べるため、調査団を平壌に派遣することが決まった。すると、蓮池さん、地村さん両夫妻には指導員から新たな指示が出された。

「今度は全てを話すことになる。だが、どこの機関によって拉致されたのかはわからないように、また、下部の人間が行ったというイメージを与えるように話すこと」

金正日氏が首脳会談で発言した内容との整合性を保とうとしたとみられる。

薫さんは、拉致されてからの詳しい経緯を知らない指導員から、「過去に他の被害者と一緒だったことはあるか」と聞かれた。薫さんは「地村さん夫妻とは一緒だったし、横田めぐみさんも知っている」と答えた。

すると指導員は、日本政府の調査団から横田さんについて聞かれたら、「1993年1月に入院し、その後に死亡したという噂を聞いたと話せ」と指示してきたという。だが、薫さんは1994年まで横田さんと顔を合わせる機会があった。その事実を指摘したが、指導員は「とにかく、言うとおりにしろ」と繰り返すだけだったという。

指導員は、北朝鮮が示した調査結果との整合性を懸念したとみられる。北朝鮮の調査がずさんであり、虚偽が含まれていることは、5人が帰国した後に日本政府に証言した内容で裏付けられることになった。