「一番ウケていたのに吉本のオーディションで落とされた(笑)」
――中学を卒業後、別々の高校に進学されたおふたりは、その後も継続的にお笑いの練習を続けていたんですよね?
トシ そうですね。高校に入学してしばらくしてから、タカがお笑いに本気になり始めて、「高校卒業したら上京するぞ!」って意気込んでいたんです。東京の事務所を片っ端から受けるつもりでした。とりあえず受かったところ入ろう、みたいな。でも「吉本は嫌だ」ってふたりで頷いていましたね。
――え!? 候補に入っていなかったんですか?
タカ ぼくらはコントをやりたかったんで、北海道で見ていた新喜劇のイメージの強い吉本は自然と候補から外れていたんです。
だけど1994年の高校3年生のとき、吉本興業の札幌支社ができて、オーディション番組が開催されることになって。「札幌で受かんなくちゃ東京でも勝負できない」と思っていたので、力試しで受けてみたんです。ダメだったら東京行けばいいぐらいのノリで。
トシ そして、番組放送前の事前審査でネタを見せたところ、本番の収録に参加できるようになりました。
――それがおふたりの初ライブになったワケですね。
タカ しかもトリだったんですよ。たしかに大勢のお客さんの前でネタを披露したのは初めてだったんですが、これが大ウケで。
会場の雰囲気もよかったんで「受かっただろ!」と確信したんですけど、なんと落とされちゃって(笑)。そのときの審査方法は、審査員3人がそれぞれイエローカードを持っていて、2枚以上、上がると失格というシステム。で、僕らはフルの3枚上がっちゃった。
トシ 会場のウケ度を考えても絶対に受かると思っていたからタカの顔が引きつっていて。アナウンサーの「怒っている?」という質問に「怒ってないですよ」と言いつつ半ギレだった(笑)。
――一番ウケていたのに(笑)。
タカ でも控室に戻ったときに当時の札幌支社の所長と審査員だった太平サブロー師匠が、「自分ら一番おもろかったよ」と言ってくれたんですよ。素直にうれしかった半面、「じゃあなんで落としたんだよ!」とも思ったんですけど。
サブロー師匠いわく、「タカトシは一番おもろかったから誰も(イエロー)出さないかと思ったけど、誰かひとりはイエローを出さないと場が締まらないと思って出したら、みんな出していた」とのことで、ずいぶん後になってから謝られましたけどね。
トシ 「オーディション、また来てくれな」と一声かけてくれたから、次のオーディションにも足を運んで、無事合格できたんです。たぶんサブロー師匠がいなかったら僕らは吉本にいなかったかもしれない。
タカ 逆にあそこで落とされた経験があったからこそ、今のタカアンドトシがあるとも言えるな。