「東京の中のアメリカ」としての港区
問題は、なぜ港区に集う人々が揶揄の対象になってきたのか、ということだ。
ヒントは、「港区」で一番偉い存在は「外国人」である、と『見栄講座』で述べられていたことにある。
「港区」はそもそも、戦後、アメリカ軍の基地が多く集まる「基地の街」だった。特に六本木は「東京租界」と呼ばれるほど、東京にあって東京ではないような雰囲気を持っていた街で、1950年代には米兵向けのバーやクラブなどが多くあった。そのため、米軍の施設が日本に返還されたあとも、そこには多くの外国人が集うことになる。
社会学者の吉見俊哉によれば、こうした六本木をはじめとする港区の「アメリカ感」「異国感」は、米軍撤退後、そこにテレビ局などのマスコミが開業して、芸能人などが集うことによってさらに強固なイメージとして作られていったそうだ(吉見俊哉「迷路と鳥瞰」『東京スタディーズ』)。
当時の日本人にとって、六本木をはじめとする港区は“日本の中のアメリカ”で、どこかこの世のものではない、オシャレで、ふわついた空間がひろがっていた。
その空間に日本人はどんなイメージを持つか。
港区は、日本人のコンプレックスが集まる場所
よく言われるが、日本人は、外国人、とくに欧米系の人々に対してコンプレックスを持っているといわれる。いまだに私たちが欧米由来の商品に弱いのが、その証拠かもしれない。
そう考えると、港区はまさに、そのコンプレックスの中心地ともいえるんじゃないか。アメリカみたいなものに対する憧れと、でも、そうはなれないことに対する焦り。そうはなれないからこそ、港区を否定しようとして、そこを「いけすかない」と揶揄する。
そういえば、2000年代、ベンチャー企業が六本木ヒルズに入居しまくる、みたいなムーブメントがあって、「ヒルズ族」なる言葉が生まれたりもしたが、もしかするとそれもまた、こうした屈折した感情の裏返しなのかもしれない。ベンチャー企業で「成り上がる」ことによって、港区という土地を屈服させてコンプレックスを解消させる……。そんな感情の動きが、そこにあったような気がしてならない。
港区とは、日本がアメリカをはじめとする外国に対して抱いてきた、どこか屈折した感情と共にある街だったのではないか。私たちが「港区女子」に向ける眼差しも、もしかしたらそんな複雑な感情を反映しているのかもしれない。
アメリカに「すし屋」が蹂躙されているぞ!
で、こうして考えていくと、今回の事件がなぜここまで強い拒否反応を起こしたのかわかってくる。
「港区女子」というものをきっかけにして、なんというか、日本人がずっと持ってきたコンプレックスが爆発したのが、今回の騒動の全容なんじゃないか。しかも、今回の舞台は「すし屋」、まさに「日本」を体現するような場所である。そこを、アメリカ的なるものを背負う「港区」が蹂躙している! そんな危機感がそこにある。そう、これは一種の擬似的な“戦争”なのだ。それがヒステリーともいえる否定的意見を巻き起こす。
こうやって思うと、多分今回の騒動は「すし屋」という舞台で「港区女子」が起こしたからこそ、ここまで否定的な反応があったんじゃないかと思う。
なにかとバカにされがちな「港区女子」という言葉だが、そこには日本人のメンタリティーがうっすらと映し出されている……のかもしれない。
文/谷頭和希