自身がドロップアウトしたからこそ

――”シブジョ”には、現在どんな生徒さんが通われていますか。

「将来SNSを仕事にしていきたい」とか「世界で活躍できるインフルエンサーになりたい」といった目標をもった生徒さんもいますが、そういう子だけではありません。通っていた高校でオシャレができなかったり、さまざまな理由で中学校にちゃんと通えていなかった子も多いし、いろいろな子がシブジョにはいますね。

――ご自身も高校を中退されています。

元ギャルだから勘違いされがちなのですが、私は倍率も偏差値も高い、さいたま市立大宮西高校に毎日10時間くらい勉強して死ぬ気で入ったんですよ。当時憧れながら読んでいた『egg』のイケてる高校ランキングで1位だったからですが、勉強もできて校則が緩いってカッコいいなと。

でもタイミング悪く私が入学した年から校則が厳しくなってしまい、髪も染められないし、ギャルの格好はできなくなりました。その後、高2の春休みに渋谷で「ギャルサーやらない?」とスカウトされまして。そこからのめり込んで、学校に通わなくなってしまい、退学してしまいました。

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自由な髪型やメイクで登校する生徒たち

――そもそもギャルサーとは?

イベントサークルの一種なんですけど、べつにギャルばかりがいるわけではありません。男女200人ほどのメンバーで、ファッションショーやダンスなどのイベントを企画するんです。OBの先輩たちが手伝ってもくれるのですが、基本的に10代の子たちでひとつのイベントを作ることが主たる目的ですね。

もともとはヤンキーだったんだろうなって子もいましたけど、イベントを成立させるっていうことに対してはみんな真剣で。多くの人と関わって自分の知らない世界が広がっていく感覚にワクワクしてましたね。

――その後就職した広告代理店ではどんなお仕事を?


いわゆる広告代理店として、事業を企画していたのですが、とある仕事で、もともと『egg』を出版していた大洋図書さんの関係者さんと知り合いまして。その時に当時休刊していた『egg』がWEBで復活でするという話を聞いたのです。

もう衝動で、「絶対に私が復活させたいです!」と立候補して、21歳のときに『egg』の編集長になりました。

――高校をドロップアウトし、憧れの雑誌の編集長となり、現在は校長先生へ。そんな波乱万丈の人生を送っている赤荻さんだからこそ、同じような境遇の生徒さんを見ると、自分の過去と重ね合わせてしまう?

それはありますね。去年の春に転入してきてくれた子は、私とまったく同じパターンで、自由な校風だからと普通科の高校に入学したのに「全部ダメ」と言われたそうで。

ギャルにとって、髪を染められないとか、ピアスできないっていうのは生き様を否定されてるのと一緒なんですよ。

彼女も学校側と揉めちゃってシブジョに来てくれたんですけど、まるで過去の私を見ているかのようですね。そういう子たちが真っ直ぐ自分の将来を考えることを手助けするためにも、彼女たちが「何者かになる」お手伝いをさせていただいています。

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後半では、伝説のギャル雑誌『egg』の編集長時代に彼女が感じた、若者たちを苦しめる同調圧力について聞く。


取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/松木宏祐

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