「面倒」な生き物
動物行動学で知られる日髙敏隆さんの晩年の著作(タイトルがどうしても思いだせないのだが)のなかに興味深い問いかけがあった。それは、人間と、人間以外の生物、たとえばサルとか犬とかニワトリとかイモムシとかハエからアメーバまで、とにかく「人間とそれ以外の生物との決定的な違いは何か?」というものだ。
はじめ簡単そうに思えたが、しかしいくら考えても「これだ!」と自信を持って答えられるものは何も出てこなかった。
回答は要するに「人間は自分がいつか死ぬ、ということを知っているが、その他の生物はそのことを知らない」というものであった。
なるほど、たしかにそうなのだろう。
働きアリが生まれてからずっと行列を作ってたとえば食料の欠片をくわえて巣に運ぶ。その単純な仕事をずっと続けて、ある日力つきて「死ぬ」。死ぬアリは自分がついに死をむかえた、ということは知らないだろう。
ブタが毎日人間から豊富な餌を与えられて、とにかく毎日朝から夜までそれを食べている。どうして人間が毎日豊富な餌を与えてくれるのか、ブタは考えたことがないだろう。
アリと違ってブタの場合はある程度成長したら、今まで見たこともないところに連れていかれてよく意味がわからないまま殺される。
賢いブタが生まれて、今までどのブタも思考したことのない、自分らに毎日食べ物を与えてくれる生物が最後には自分たちを食ってしまう、という単純な運命を理解してしまったら、そのブタは以降与えられる餌を食べなくなるかもしれない。
ブタぐらいの高度な脊椎動物でさえ、そういう自分らの「不幸な運命」を知らないのだから、虫ぐらいの小生物が自分におとずれる確実な死を知ることはまずないだろう。
その意味で地球という複雑な構造をした惑星は、生命に対して非常に不公平である。