解散前に19をやめようと思ったことも
――2002年に19は解散しますが、その最大の理由は何だったのでしょうか。
いろいろな要因があるんですが、大きいのは、健治くんとうまくいかなくなってしまったことですかね。
高校時代からの連れで、お互いが見ている世界を大事にしてきたんですけど、僕が健治くんの変化を受け入れるキャパシティがなかったので、やめようか、という方向になりました。それに、実は僕、それより前に1回、19をやめようと思ったことがあったんですよ。
――それは岩瀬さんが19を抜ける、ということですか?
僕が抜けようと思いました。セカンドアルバム(2000年7月発売の『無限大』)が完成した直後ぐらいですね。今なら、僕以外の人が加入すれば、19は継続していけるんじゃないかと思っていたんです。
――なぜ、やめようと思ったんですか?
19が、自分の意思を超えて売れていってしまったというのもあるし、健治くんとの、音楽に対する感覚がブレ始めていたんですよね。それに、僕は音楽家としてとても未熟だったので、一度、人目に当たるところから離れて、もう1回ちゃんと勉強したいと、レーベルと事務所に伝えました。
イギリスに渡って、働きながら音楽を学びたいと思っていたんですけど、その話は流れてしまって。その後も「あのとき、イギリスに行ってたら……」という気持ちが残っていたので、解散のときもそれに似た感覚で、「じゃあやめよう」という方向にことを進めたんだと思います。
自由奔放な振る舞いで大人に怒られた。飛行機に乗り遅れることも
――今、振り返ると、20歳のときは、幸せだったなと思いますか?
デビューしたあの1年間ですよね……幸せでした。楽しかったですね。幸福なことに僕は、20歳のころから音楽をスタートできているので、この25年間の時系列に、全部、音楽が詰まっているんですよね。
あのとき何をしていたか?というのが、音楽を通じて思い出せるんです。
19のころは、自分のために曲を作ったら売れて。だんだん、知らなかった音楽の方向性を知って、それに合わせた曲の書き方をするようになっていったんですけど、それもいい経験でした。売れるために作品を書くというのは、おもしろいですね。
ただやっぱり、嫌な思いもたくさんしました。少年フレンドでデビューしていたらどうなっていたのか、そちらのほうにも興味がありますし。
でも、19でデビューすることを選んだ時点で腹をくくりましたし、その道での人生の開拓はおもしろかったですよ。
いろいろな大人に会うのもおもしろかったです。ただ僕らはガキだったから、自由奔放でよく大人に怒られましたけどね。
当時は僕、よく遅刻してたんですよ。でも、偉そうに遅刻していたんじゃなくて、僕はもともと遅刻する人だったんです(笑)。高校生のときも遅刻ばっかりだったし。
――大人からすると、「調子に乗ってる」と受け取られちゃいそうですね(笑)。
間違いなくそう思われてました。(紙ヒコーキには乗れたけど)飛行機にはよく乗り遅れてましたね(笑)。