死刑執行後の実父の暮らしぶり
「もうどうにもならんのよ。こうやってあんたと電話をすることもつらいんや。歩くことができんのやから」
2019年、正月。新年の挨拶かたがたAさんに電話をかけると、消え入りそうな声でこうつぶやいた。
守の死刑執行から15年。その間も年に何回かAさんと連絡を取ってきたが、久しぶりに聞いたAさんの言葉には力がなく、86歳と高齢ということもあり、胸がざわついた。
2月1日。安否確認のため、わたしは兵庫県伊丹市に向かった。Aさんと会うのは2年ぶりだ。前回は足の踏み場がないからと、玄関の上り口に腰掛け、ビールを飲みながら近況を語り合った。
「足がわろうなってな、バイクがないと買い物にも行けない、ワシは生きていけんのや」
そう語っていたAさんのバイクには植物の蔦が絡まり、錆びついていた。かたわらには真新しい電動自転車があった。
「まあ上がれや」
上着を何枚も着込んだAさんが玄関を開けてくれた。顔を見た瞬間、あまりの痩せように「お父さん、大丈夫かよ」とわたしは思わず叫んでしまった。
「昔は82キロあったが、今は55キロしかない。去年の11月24日に電動自転車で用足しに出たら、4、5キロの荷物でバランスを崩して、後ろにひっくり返ったんや。尻餅をついた瞬間、強烈な痛みが走って動けなくなった。
なんとか自転車にまたがって家に戻ったが、それから歩かれへんのや。1週間はできそこないのパンを食べたり、ビールばっかり飲んで過ごしていたわけや。一向に治らんから、家内が世話になっていた養護老人ホームの係員に連絡したら動いてくれたんよ」