「もうマスコミのおもちゃになりとうないんや」

今回の訪問で、わたしは長男の自殺の原因を聞いてみた。

「原因は厭世やろ。離婚して、職業もいろいろ変わって長続きしなかった。やっぱり自分はあかんと思たんちゃうか。当時、マスコミがヒトラーの『わが闘争』は守の本だと報道しよったが、あれは兄の蔵書や。ただ、なんでそんな本を読んでいたのかワシにはわからん。

ワシに確認を取れば、そんな間違いはなかったのにな。ワシを憎もうと、どないしようとかまわへんけどな、嘘を書きよることがマスコミというかメディアの姿なんだ、とあのときに感じたよ」

当時、ある月刊誌が守と母親の近親相姦を報じ、Aさんは激怒して出版社に猛抗議したことがあった。

Aさん夫妻は一時期別居したことがあり、そのとき守は母親と同居していた。「守はそういうこと(近親相姦)もやりかねないヤツや」とわたしもAさんから聞いたことがあったが、「裏も取っていないことを書くな」とAさんは憤慨した。

「あいつらも、あんたかてそうや、全部商売のネタやないか。もう、これっきりにせいや。原稿料がちょこっとでも入ればそれでよかろうが」

返す言葉はなかったが、わたしは加害者の父親の苦悩を書き残すことの意味はあると考えていた。

航空自衛隊時代の宅間守・元死刑囚
航空自衛隊時代の宅間守・元死刑囚

Aさんの了解を得て守の部屋に足を踏み入れると、自衛官のポスターが剥がれていた。前回は気がつかなかったが、航空自衛隊の戦闘機のポスターが多数張られていた。守の夢の名残はそのまま漂っていた。

Aさんは腰をかばうように横になりながら、わたしに対応してくれた。わたしがおいとまさせてもらおうと声をかけると、Aさんは「ビールを飲もう」と言い出した。

「お父さん、まだまだ長生きできるよ」

「長生きしてもええやら悪いやらな。失望することが多かったりするとな、なんの意味もないしの。よかったなと思うようなことはもうない。ワシの人生はなんやったのかな」

守の死刑が執行され、ひとつの区切りがついたとき、Aさんから「これからはワシが死んでから記事を書けや。もうマスコミのおもちゃになりとうないんや」と言われた。

しかし、その後も何度も書いてきた。それは「おもちゃにしていない」という自負がわたしにはあったからだ。

この日が、Aさんと対面した最後の日になった。