「東京体育館の景色は鮮明に覚えています」(田臥)

決勝戦前夜。静まり返っているはずの東京体育館の熱は冷めていなかった。誰もいないはずの正面入口には、誰よりもいい場所で試合を見届けたいとばかりに息巻くファンが、当日まで待ち切れず徹夜で並ぶ。
 
28日。大一番に集結した観衆は8344人。前日の準決勝よりも少なくなったのには理由があった。イベント会場では災害時などの際に避難経路を設けることが義務付けられている。そのスペースすら確保できないくらいに人で埋め尽くされる可能性があったことなどから、「消防法違反の恐れがあるため入場人数が制限された」という。

能代工がアリーナのメインコートに立つ。

相手は千葉県代表の船橋市立船橋高等学校。98年最初のタイトルを懸けた高知インターハイ準決勝で116‐99と退けているとはいえ、ウインターカップで初めて決勝まで名乗りを上げ勢いがある。身長196センチの2年生センター、鵜澤潤のフィジカルを生かしたゴール下でのポストプレーは脅威で、能代工としては彼に調子づかれると厄介でもあった。

試合は、その鵜澤のシュートで本格的なスタートを告げた。自分より4センチも身長が高いビッグマンとマッチアップする若月は、意識的に警戒心を強めるのではなくシンプルな対応を心掛けていた。

「ゴール下まで行かれるとこっちが不利なんで、ねちねちと腕で相手を押しながらポジションを確保して、リバウンドを捕られないことを意識していましたかね。捕られたら捕られたで、自分たちの攻撃に備えて、すぐにオフェンスするために走る。そこを徹底していました」

相手の前に体を入れるスクリーンアウトをこの試合の鉄則としていた若月は、鵜澤から先取点を奪われた直後にオフェンスリバウンドを制して同点ゴールを決め、さらにもう1ゴールを追加する。そして、相手のミスから攻守の切り替えを意味するターンオーバーを成功させ、田臥が速攻でゴールを決めるなど能代工がペースを作った。

ここから市立船橋に3連続ゴールを許し、前半7分を迎えたあたりで11‐14と逆転されるなど序盤はシーソーゲームが続くが、1本のプレーで流れが大きく変わる。

菊地が2本のフリースローを決め、25‐22とした直後の前半12分あたりだった。オールコートでのプレスディフェンスで相手の攻撃を止めてから、ディフェンスに回っていた2年生センターの村山範行が前線まで駆け上がる過程で相手のパスをカットし、田臥を経由して再びボールを受けるとレイアップシュートを決めて5点差に広げた。

オールコートのプレスと走るバスケットボール。そこから展開される電光石火の速攻。それは、能代工を常勝軍団たらしめる強力な鉾でもあった。完全に主導権を握ったチームは、前半だけでターンオーバーを13、エースの田臥も20得点を挙げ53‐34と市立船橋を突き放した。

後半も開始早々からスピーディなバスケットボールを繰り広げる。田臥から若月へ。菊地から若月へ。流れるようなパスワークなどで4連続得点を挙げると、田臥がフェイントで相手のブロックをかわしてシュートを決めるダブルクラッチで観衆を沸かせ、とっておきの飛び道具が身上である菊地もアウトサイドからだけではなく、相手から厳しいマークをされるや積極的にドリブルで切り込むなどインサイドからのゴールでもチームを盛り立てた。

そして、偉業へのカウントダウンを迎える。

残り11秒。敵陣のペイントエリア内でボールの奪い合いを制した渡部直人からボールを受けた田臥が、クイックモーションで素早くジャンプし柔らかいタッチでボールを放つと、鮮やかな曲線を描いてリングに吸い込まれた。最後となる98点目。田臥がゲームを締めくくった。

5、4、3、2、1……観客席からの大合唱がゼロになったと同時にブザーが鳴る。眩いばかりのカメラのフラッシュ。耳をつんざく大歓声。体育館の照明がまるでスポットライトのように、能代工にとって50回目となる日本一、そして、3年連続3冠を祝福するように照らしていた。

最後のシュートを決めたことについて「そうでしたっけ? 言われて思い出しました」とおどけていた田臥も、優勝の瞬間だけは25年が経過した今も脳裏に焼き付いている。

「東京体育館の景色は鮮明に覚えていますし、会場の熱気もそうですよね。あれだけの雰囲気のなかで試合をさせてもらえて勝てた。それを高校生で経験させてもらえたのは財産です」

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