「正面から入ると大変でしょうから」
東京体育館に足を運ぶ者たちの大半が、能代工と田臥が目当てと言っていいほどだった。対戦相手ではない出場チームを応援しに来た者ですら、「この日に田臥が出るから」と予定を繰り上げ、あるいはそのまま会場に残ってスター選手に想いを馳せるのである。
勝ち上がる度に人が集まり、ボルテージが高まる。序盤は他のチームと同じように東京体育館の正面入口を利用していたが、それも困難になった。大会運営に携わる東京都の高等学校体育連盟ですら、能代工を「特別扱い」せざるを得ないほどだったという。
能代工でバスケットボール部の部長を務め、選手たちの引率を担当していた安保敏明は「後にも先にもあの年だけでした」と、声を上ずらせる。
「高体連の先生方が『正面から入ると大変でしょうから』と、チームのマイクロバスを裏口に回してくれるようになって。それだけ、お客さんの入りがすごかったんです」
それは、熱狂を飛び越えた狂騒だった。
準々決勝が行われた12月26日は6400人もの有料入場者が詰めかけ、翌27日の準決勝はその数をさらに上回った。通常ならば体育館のみで販売されるチケットは、ここだけでは捌ききれないと千駄ケ谷駅の窓口でも分散して売られたほどだった。
詰めかけた観衆は9936人。大会、チーム関係者なども含めれば1万人を超えていたとも言われている。観客席は最上部の3階席まで満席となるのは当然として、立ち見客でも溢れかえり、立錐の余地すらないほどだった。
狂騒は会場入りや試合だけではなかった。むしろ、試合後に裏口から体育館を出る時にこそ、田臥たちは「出待ち」するファンたちのターゲットとされた。
下級生たちが能代工のスター選手を囲むようにガードする。先導役を任される後輩選手が、あえて横幅を確保するため両腕にクーラーボックスを抱えて「すみません! 通ります!」と声を張り上げながら田臥たちを誘導する。時に強引に振り切ろうとするため割って入ろうとするファンからは、「なに、こいつぅ!?」と罵声を浴びせられたりもした。
意外だったのは、能代工が生み出した熱狂の渦の中心にいた田臥がストレスを感じていなかったことである。これほどまでに好奇の目にさらされながらも「楽しんでいた」というのだ。
「むしろありがたかったです。緊張感だったり、プレッシャーはもちろんありましたけど、それは能代工業にいれば当たり前のことだと思っていましたし。それより、『満員です』みたいに場内アナウンスが流れたり、そのなかで試合をするのがすごく楽しみでした」