短編は筋よりも細部で書いている
――「墓」は地方に移住して古い家をセルフリノベした夫婦の話。庭には可愛がっていた猫のお墓がありますが、ある時ふらっと、その猫に似た野良猫が現れる。
時々トイレで赤ん坊を産んだというニュースがありますけれど、産んだ後にひょいって庭に埋めてしまう人もいるんじゃないかな、などと発想しました。
日常って意外と不安定なことに満ちているよね、ということを書きたかった。そうしたら、隣の夫婦がどんどん気持ち悪いものになっちゃって……。
―― 隣の小西さん夫婦ですよね。彼らの紹介で主人公夫婦は雑誌の取材を受けますが、取材当日、なぜか小西さん夫婦も同席する。その奇妙さや、ライターが微妙に取材下手だといった細部が絶妙でした。
自分でも、短編は筋よりも細部で書いている感じがしますね。脇役のプロフィールや人生を考える癖もあります。もちろん全部は書かないけれど、どういう人たちがいたら面白いか一生懸命考えちゃうんですよね。
―― 脇役といえば、次の「スミエ」はスミエという人が主人公ではないんですが、読み終えた時に彼女の人生に思いを馳せました。
ある時、夢を見たんですね。馬が出てきて、その馬が実は誰かなんだよ、というような夢。夢の中ですでに、面白いからいつか小説に書こうと思っていました。
―― そんな出発点だったとは。うまくいってなさそうな男女カップルが車で旅行中、男性のほうがかつて読書指南をしてくれた家庭教師の女性のことを振り返っていく。
自分でも、どういう順番で考えているのか分からないんですよね。駄目になりそうなカップルと、スミエという人と、スミエの夫だったという人がいて……。その配置を考えてこういう話になったと思います。
愛の話にはしたくなかった。駄目になりかけているカップルが、駄目になるのか修復するのかが書きたいんじゃなくて、やっぱり、すごく不安定な感じを書きたかったんですよね。
――「ケータリング」はいかがでしたか。地方に移住して定食屋を開いた若い夫婦の話です。妻がある日突然いなくなるうえ、夫は常連客の初老夫婦から養子縁組を強引に持ち掛けられる。前作『照子と瑠衣』でも、移住してきたものの妻が東京に帰ってしまった青年がちょこっと登場していますよね。
東京から移住してきた夫婦の片方が、周囲の圧に耐えられなくなり帰ってしまったとか、移住先で開いた店を畳んだといった話は耳にするんです。私が住んでいる別荘地ではそんなことはないんですが、集落ではいろいろあるみたいです。草刈りや雪かきがあるたびに行かなきゃいけなくて、行かないならお金を払わないといけないとか。老人は草刈りが免除されるんだけれど、その老人の定義が八十五歳以上、とか。
―― 八十五歳!
よっぽど歳をとらないと免除されないっていう(苦笑)。
――「フリップ猫」は、猫たちがフリップを支えている写真で人気のインスタがあり、その猫たちに会いに行こうとする女性の話です。フリップ猫って本当にいるんですか。
あれは作りました。「かご猫」という、猫がいろんな籠に入っているインスタが可愛くて、たまに見ていたんです。その方は何匹も猫を飼っているんだけれど、そのうちに「〇〇ちゃんが亡くなりました」っていう報告があったりする。それで、「猫のお墓参りさせてください」と訪ねてくる人もいるんじゃないかなと考えたのが最初でした。
―― 女性の旅行の目的は、夫の還暦を祝うフリップを猫たちに持たせて写真を撮ること。いい話かと思ったら、世間を賑わすスキャンダルの話が絡んできて、実は夫が……。
実は夫がこういうことをしていたらどうするんだろう、妻は知らんぷりしてやっていけるのか、などと考えました。自分だったらやっていけないと思いますね。
―― 最後は「錠剤F」。ハウスクリーニングの仕事をする女性が、同僚女性に誘われて出掛けます。その同僚は、ネットで楽に自殺できる薬を売っている男から、その薬を買おうとしているところです。
最近時々ある、ネットを介した自殺幇助のニュースから思いついたのだと思います。「そういうことが起きる世の中」の風景として考えていったんですよね。
―― ハウスクリーニングの仕事の光景もリアルでした。訪ねた先で机の上にお金が置いてあったら、「しまってください」と言うところとか、ああ、そういうものなんだ、と。
以前、自分の家にお掃除の人が来てくれた時に、「貴重品を分かりやすいところに置いておかないでください」って言われたんですよ。たとえば認知症の人とかに、「ここに置いていたのになくなっちゃった」とか言われたりするから、って。
―― この短編では、最後の場面に啞然としました。
これは救いのない話になりました。でも、薬を買いに行った二人はこの記憶を抱えて、これからも生きていくんじゃないかと思います。
嫌な気持ちになる小説があってもいい
―― 全編、主人公たちはみんな善良で知性と理性があるというより、それぞれちょっとずつ駄目なところ、危ういところがありますね。
100%善良な人なんていないじゃないですか。ここに出てくるのは駄目な人ばかりだけれど、でも、そういう人だって、近くにいたら、そんなに駄目な人には見えないんじゃないかと思うんです。「みみず」の主人公も保育園ではちゃんと子供の面倒を見ているわけだし。
―― そんな彼らの日常が揺らぐ瞬間を堪能しました。何か読書には、毒の美味しさってありますよね。
小説って、共感したり安心したりするものだけではないんですよね。大団円の小説や勇気をもらう小説が悪くないのと同様に、嫌な気持ちになる小説もいいじゃん、って私は言いたいんですね。
私は、別に読んでいい気分になってくれなくても全然いいんです。すごく共感したと言われるより、すっごく嫌なところを突かれたとか、何か忘れられない、と言われたほうが嬉しいというか。自分が主人公と同じ体験をしていなくても、こういう時の嫌な気持ちとか、こういう時の寂しさとかを自分の中から探して取り出して書いた気がするんですね。だから、読んでいる人にもどこか響くものがあったらいいなと思っています。