江戸の町では、不倫もお金を払えば許された
不倫に対しても、庶民の間では、かなり寛容に受け入れられていたようです。
武士の世界では不義密通はご法度で、間男はその場で叩き斬られることもありました。
でも、庶民の場合は不倫のたびに幕府に訴えるのは面倒なので、いつの間にか「間男七両二歩」という取り決めが生まれます。これは、「仮に不倫をした場合、男は相手の女性の旦那に七両二歩払って勘弁してもらう」というルールです。
七両二歩は、現代なら大体75万円ほど。裕福な人の場合は、先にお金を用意して、旦那に渡してから相手の妻と不倫をした人もいたそうです。
さらにいえば、江戸の町ではパートナーを見つけて結婚できること自体がラッキーでした。なぜなら、当時の江戸の男女比率は、男性のほうが圧倒的に多かったからです。
「江戸に行けば仕事があるらしい」と聞きつけた埼玉や千葉エリアの食い詰めた農家の次男坊や三男坊たちが大勢いたものの、女性が少ないので嫁をもらえない男が非常に多く、結婚できる男性はほんの一握り。
妻がもらえない男性たちの間で人気になったのが、風俗です。
しかし、風俗の流行は、梅毒などの性病の蔓延をも引き起こしました。当時、梅毒の治療法は水銀を飲むなどの非科学的なものが主流だったので、適切な治療ができずに症状が悪化し、鼻が腐り落ちてしまった人も大勢いたようです。
それでも粋を愛する江戸っ子たちは風俗通いをやめず、むしろ「梅毒にかかるのは、粋な遊び人」くらいに思われていたようです。
結婚できない人が多く、梅毒が増えるという現象は、現代にも少し通じる部分があります。
現代では梅毒は治る病気ですが、江戸時代は一度患うと死んでしまう致命的な病気です。死ぬリスクがあっても風俗通いをやめないというのだから、江戸っ子は本当に遊び好きだと思わざるを得ません。