なぜ農水省の自給率は意味のない数字なのか
農水省によるいくつかの自給率を見てきたが、さまざまな疑問が残る。
そして、筆者が最も問題と思うのは、経口食料のみを用いて自給率の試算をしていることである。畜産物を飼育するためには飼料要求率に基づく大量の飼料(カロリー)が必要である。農水省方式は、たとえば牛肉を生産するために必要とした飼料は無視し、口を通じて消費した牛肉のカロリーを取り上げて、その自給率を計算する方式である。
牛肉100キロカロリーをつくるために要した飼料分のカロリーはいくら大量であっても無視されている。これは製造コストから燃料費を除外しているようなものだ。そして日本において畜産物の飼料はほぼ輸入なのである。
肉類や牛乳の生産に投じる飼料には、生産者個人や国によって大きな差がある。精魂込めて育てれば育てるほど、飼料の種類と量は増える。育て方が未熟の場合にも飼料の量は増える。飼養の効率が劣るからである。
A国は1キログラムの肉を生産するのに投じた飼料が5キログラム、B国では4キログラムだとして、できた肉1キログラム自体はA国もB国も同じ1キログラムに変わりなく、この1キログラムを食べた国民の摂取カロリーもまた、A国もB国も同じである。
本書は、ここに大きな問題があることを指摘したい。
自動車の燃費に例えると、同じ1キロメートルを走ったガソリン車についての関心事は、燃費にどんな差があるか、あるいはガソリン車で走ったのか、EV車で走ったのかという問題であり、1キロメートルを走ったかどうかではなく、その効率や環境への負荷の大きさがどうなのかが問われるのだ。
本書試算による日本の食料自給率は18%
農水省のカロリーベース食料自給率は、このような、1カロリーを食べるのにそれ以前にどのくらいのカロリーを費やしたのか、そしてその輸入部分はどのくらいなのかという中間部分がスッポリと抜け落ちたものなのである。この問題は、消費量の大きな畜産物に限らず、食用油・みそなどすべてのニ次的生産食料に当てはまる問題である。したがって、本当の自給率を知るためには飼料や加工食料の原料のカロリーをベースに把握することが必要なのである。
ある事柄についての統計処理とは、国によって数値の算出方式が違ってはならず、利用する基礎数値の根拠が違ってもならない。統計とは「統一的な方式によって計算された数値」である。世界の食料自給率においてはこの統計が存在しなかった。
このスキ間を埋めることが、本書が独自に世界共通の食料自給率の算出を試みた理由にほかならない。
本書で公開した食料自給率では、重複勘定を避けながら、牛肉であれば牛肉そのもののカロリーではなく、牛肉をつくるために消費(投入)された飼料(カロリー)を対象に算出する方法である。「投入法カロリーベース食料自給率」と呼ぶ理由でもある。
わかりやすく言うと、牛肉100グラムは約250キロカロリーに過ぎないが、飼料穀物のトウモロコシは約350キロカロリー、牛肉100グラムをつくるにはその11倍、3850キロカロリーを飼料として与える。にもかかわらず、牛肉250キロカロリーのみを取り上げ、差し引き3600キロカロリーを無視した自給率にどれほどの意味があろうか。
精肉となったものに自給部分が簡単に把握できるような線でも引いてあればよいが、もちろんそんなことはない。その判定にはややこしい計算と推定に推定を重ねなければならない。これに対して本書の「投入法」には、そうした煩雑さや推定の入り込む余地は一切ない利点がある。
「投入法カロリーベース食料自給率」による試算では、日本の食料自給率は18%となり、農水省が発表した数値を大幅に下回るのである。
なお食料自給率を考える場合、肉の部位まで意識する必要はない。ただし食料100グラムに含まれるカロリーは食料によってすべて異なるので、本来は食料の品目ひとつひとつの重量に応じた含有量を計算する。たとえば、同じ100グラムの肉であっても、豚肉と鳥肉とではカロリー含有量が異なるし、野菜も、トマトとカボチャとでは異なる。