書くことが生きることのすべてだった
――寂聴さんは過去の恋愛を振り返り、「出家してなかったら(今も)でれっとしてるよ」と苦い顔をされる場面もありました。
映画では随分カットしましたが、お酒に酔ってくるとふたことめには「出家してよかった」とおっしゃっていました。一般的に、先生が出家したのは井上光晴さんとの不倫関係に悩んだ末だと言われています。もちろんひとつのキッカケだったと思いますが、それ以上に、作家として脱皮するために大きな自己改革みたいなものが必要だったんだと思うんです。愛について書き続ける上で邪魔になったのが、ご自身の性愛に関すること。そのために出家という手段が必要だったのかな、と思います。
ご本人は「更年期障害の影響だった」なんて言っていましたが、出家前は相当悩まれていて、一度自殺未遂を図ったことがあるんです。そのときにフロイトのお弟子さんだった精神分析医の古沢平作さんに診察してもらってよくなったそうです。その方はとにかく患者を褒める先生だったそうで。「仕立てのいい着物ですね」とか、「今日の爪の色はすごく綺麗ですね」とか。自信を失っているときに褒められることは、自己肯定感を上げるためにとても重要だと、先生はそのときに学習したみたい。法話をやるようになってからとても役に立ったと言っていました。
――監督も褒められることは多かったのですか?
褒められましたねえ。「最近太ってきたから10kmくらいウォーキングしているんです」と言ったら、「体が締まってかっこいいわ」とか、全然痩せてないのに「痩せたわね」とか(笑)。僕に限らず、周りの人のことを必ず褒めていましたし、そこは徹底していたと思います。
――亡くなる直前まで多くの連載を持っていた、作家としての寂聴さんは監督の目にどう映りましたか?
書くことが生きることのすべてだったと思います。原稿用紙に文章を書くために生きていた。例えば「疲れて書けない」なんて言っていても、徹夜をして書き上げたりしていましたから。そのことがきっとうれしかったんでしょうね。朝方によく電話がかかってきていました。「こんな時間に出られるかよ」って感じで、結構出なかったこともありましたが(笑)。
「(数えで)100歳まで現役でものを書いている人はいないわよ」と言っていましたし、ご本人もとても誇りに思っていたと思います。一度はご家族を捨て、筆一本で身を立てた。そして恋によってバッシングを受けながらも地位を築き、出家してからは執筆活動だけでなく、悩みや悲しみに打ちひしがれている全国の人たちに語りかけ、心を救済する活動をしていた。さらに、反戦活動など「おかしい」と思ったことがあったら、とことん行動する人でしたからね。本当にエネルギーがあったと思います。お肉をよく召し上がった理由がわかる気がします(笑)。
――寂聴さんと長くときを過ごした監督が今思うことは?
戦争を経験された先生は、戦前のようになっている今の世の中をすごく心配していました。報道の自由度は落ちているし、ジェンダーの問題も一気に明るみになっている。どんどん生きづらくなる世の中ではありますが、そんなときこそ、瀬戸内寂聴のような世間の常識から外れた人の生き方が、ある種、有効なテキストになる気がするんです。
先生は自分がしたいことを突き詰めて自由に行動した人。でも、自由に生きることほど難しいことはないじゃないですか。いろんな物事と衝突するし、他人の自由を尊重するために自分の自由を抑えたり、どこかで折り合いをつけることも学ばなければいけない。みんなが楽しく笑って生きられる世の中にするために自分は何ができるのか。先生の近くにいた人間として、僕自身、死ぬまで考え続けなきゃいけないと思っています。
――この映画を通して、寂聴さんの死後も救われる人は多いと思います。
先生はまだ、本当の意味でいなくなったわけじゃありません。そのことを、映画館で確認していただけるとうれしいです。
『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』(2022)上映時間:1時間35分/日本
配給:KADOKAWA
5月27日(金)より全国公開
©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
公式サイト
https://movies.kadokawa.co.jp/jakuchomovie/
取材・文/松山梢