働きにでる妻に夫は渋った
「彼女は25歳のときに会社の先輩と結婚して、勤めていた流通会社を寿退社したんですけど、子供の手が離れたからって、その時は子ども服のセレクトショップで販売の仕事をしていました。店舗は3つあって、社長を含めて20人足らずの小さな会社なんですが、上質でセンスの良い品物が揃っていて、地方からもわざわざ買いに来てくれるお客様もいたりして、小さいながら売り上げは好調とのことでした。
緊張しながら面接に出向いたんですけど、社長は50歳くらいの鷹揚なタイプの男性で、気さくに対応してくれました。会社そのものがアットホームな雰囲気で、印象はとてもよかったです。ちょうど買付する人材を探していたとのことで、私にアパレル経験があったことで、すぐに採用となりました」
それは幸運でした。
「でも、夫は最初、渋ったんですよ」
なぜ?
「晴恵ちゃんのことは、同じサークルだったからもちろん知っていて、今更妻を働かせるなんて甲斐性がないと思われるのが嫌だったんじゃないかしらって、その時は思ってました。ほら、男って見栄っ張りのところがあるから」
ああ、なるほど。
久しぶりのお仕事はどうだったのだろう。
「どんな形であれ、アパレル関係の仕事に戻れたのは嬉しかったです。晴恵ちゃんと同じ職場というのも安心でしたし、世界も開けて毎日楽しかったですね。お給料はさほど高くはなかったですが、自分で稼いでいるということは、自信にもつながりました」
妻が働きに出ることで、夫婦関係は変わったのだろうか。
最近は共働き夫婦が多く、家事も子育てもふたりで協力し合っていくのが当たり前となっているが、あの時代はまだ、男は仕事に邁進し、女は家庭を守る、という概念が根強く残っていた。妻が働きに出るのは構わないが、家事や育児に影響が出ない程度に、が夫側の条件だという話もよく耳にした。
事実無根の「社長との不倫」の噂
「うちの場合、決まったらもう何も言いませんでしたね。夫は仕事の依頼があれば仕事をするけれども、そうでないときは業界の人と飲んでばかりでした。とは言え、そういうところから仕事に繋がっていく業種だということはわかっていましたし、元々家にあまりいない人だったから、特に問題はありませんでした。娘たちは安心して両親に預けられるし、仕事の方も私が買付けた商品がよく売れて、すべて順調でした」
それは何よりです。
「そのまま1年ほど過ぎて、すっかり働くことに慣れた頃に……なんとなく職場の人間関係がぎくしゃくし始めたんです」
何があったのですか。
「私は買付に出ていて、ほとんど店舗やオフィスにいなかったからよくわからなかったんですが、晴恵ちゃんから聞いたところ、どうやら社長が社内で不倫をしているらしいって話でした。確かに、年の割に雰囲気のある男性で、そういうこともあるかもしれないなって感じでした。社内では、相手は誰だって犯人捜しみたいなことも始まっていたようです。私は外回りが多いので、ほとんど関知していなかったのですが」
何だか、悪い予感が。
「ご推察の通り、いつの間にか相手は私ということになっていました」
火のないところに煙は立たない、とも言われるが。失礼を承知で言わせてもらうが、思い当たるふしはなかったのだろうか。
「社長とは時々一緒に仕入れ先に出向いたり、時には接待に同行したりもしていましたけど、それだけです。事実無根です」
身に覚えはないと。
「もちろんです。聞いた時は本当にびっくりしました。どうしてそんなことになったのか見当もつきませんでした。最初は馬鹿らしくて放っておいたんですけど、噂はあっという間に広がって、店に顔を出すと、ついこの間まであんなに和気藹々だったのに、露骨に避けられるようになってしまったんです。小さい会社でしょう、こういう時、逃げ場がないんですよね。それで晴恵ちゃんに相談したんです。彼女はすごく心配してくれて、ちゃんとみんなに説明しておくし、放っておけばじきに誤解も解けるわよって言ってくれたので様子を見ていたんですけど、状況は悪くなるばかりでした。
半年近く経った頃、さすがに社長も問題視して、みんなの前できっぱり否定しました。私もそういう事実は一切ないって説明しました。でも状況は変わらないまま。ついには社長の奥さんの耳にまで入ってしまって」