夫は40歳の頃に、顧客の後押しで
会社を立ち上げました

「ええ、やはり派手な業界なので、結婚してから頭を悩ますこともありました」

それはどういう。

「いわゆる女遊びですね。まあ相手はほとんど玄人さんだったから、後腐れもなかったし、今の若い人が聞いたら呆れるでしょうけど、どこかで男は女にモテてナンボ、みたいな感覚があったんでしょうね。離婚は考えたことはありません。夫の稼ぎはそこそこあったし、結局は私のところに帰ってくるわけだから、ここは太っ腹なところを見せるのが妻の甲斐性みたいな気持ちでした」

団塊の世代の若い頃はウーマンリブ(女性解放運動)が世界的に展開される時期であり、ヒッピー的フリーセックス思想も広まったが、日本ではまだまだ良妻賢母の風潮が色濃く残っているという、混沌の時代でもあった。

仕事は続けられていたんですか?

「長女が産まれるまでは。心残りはありましたけど、あの頃は子供が出来たら退職するのが当たり前の時代でした。2年後には次女も誕生して、今でいうワンオペでしたけど、子供たちは可愛かったし、生活も安定していたし、特に不満はありませんでした」

穏やかな口調で話は進んでゆく。

「夫が40歳の頃に、顧客の中で後押しするから独立しないかと言ってくれる人がいて、夫は会社を立ち上げました。夫も、やりたいことがあっても組織に属していると思うように動けない、というジレンマを抱えていたようで、決心したみたいです。あの頃は景気がよかったから独立はそんなに珍しいことじゃなかったですね。夫の周りにも何人かいて、お給料の2倍、3倍と稼いでいました」

ご主人もですか。

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バブル崩壊で住んでいた家は賃貸に、
実家近くへ引っ越しました

「ええ。とても順調で、おかげで一軒家も購入することができました」

順風満帆ですね。

「ところが、数年たった頃にバブル崩壊がありまして」

ああ……。

多少なりとも私にも影響があった。世の中が負に反転する状況を初めて目の当たりにした初めての経験でもあった。

「夫の仕事は激減し、収入も10分の1程度にまで落ち込んでしまいました。私としては、それは一時のことであって、景気さえ回復すれば仕事もまた舞い込むだろうと信じてたのですが、状況はなかなか好転しなくて、それで夫と話し合って私も働きに出ることにしたんです。その頃はまだ娘たちが小さかったものですから、住んでいた一戸建ては賃貸に出し、私の両親に子供たちの面倒をみてもらうことにして、実家近くのマンションに引っ越すことになりました」

生活が一変した人は多くいただろう。

「でも、心のどこかで再び働きに出られるのがちょっと楽しみでもありました。できることならアパレル関係に戻りたかったのですが、やはり不況で、前の会社はもちろん、13年もブランクのある専業主婦を中途採用で雇ってくれる会社なんてなくて、いろいろ当たってみたんですけど、なかなかいい返事が貰えなくて、諦めるしかないって思っていました」

再就職が難しいのは、今も昔もあまり変わりはないようである。

「そんな時、大学時代に同じサークルにいた友人・晴恵ちゃんから連絡があったんです。私が仕事を探しているという話が耳に入ったみたいで、『もしよかったら、私が働いているところに面接に来ない?』って誘ってくれたんです」

持つべきものは友人である。