「早稲田の地響きのような応援はやりにくかった」(廣瀬)
――ラグビーにおいても早慶戦は特別な一戦だと思いますが、おふたりがそのことを感じるようになったきっかけや出来事はありますか?
廣瀬 高校時代から早慶戦を見ていましたが、当時はそこまで特別だとは感じていなかったように思います。入学してから徐々に、ですね。特にOBの方々や先輩たちの早慶戦に対する熱量がすごいんですよ。それに慶應幼稚舎から内部進学してきた選手たちの愛校心や早慶戦に対する思いもとても強いものがある。そうした周囲の人たちに感化されながら「特別な一戦」という意識を持つようになった気がします。
五郎丸 私もそうですね。入学した後に、4年生たちが早慶戦に賭ける思いに触れながら、どんなスゴい試合なんだろうと想像して11月23日を待ちました。
廣瀬 ぼくは2年生ではじめて早慶戦のメンバーに入ったのですが、当時、秩父宮ラグビー場の客席は早稲田ファンが圧倒的に多いから、ラインブレイクされたときの盛り上がりが本当にスゴくて。地響きで秩父宮が揺れているのかと錯覚するほどの声援なんです。衝撃的でしたし、とにかくやりにくいなと思いながらプレーしたのを覚えています(苦笑)。
――五郎丸さんが佐賀工業高校3年生のときに、廣瀬さんは大学4年生で、キャプテンとして早慶戦を戦っていますが、覚えてらっしゃいますか?
五郎丸 もちろん鮮明に記憶に残っています。11月23日は、高校のラグビー部のみんなで視聴覚室で早慶戦を観戦しました。慶応はほかの強豪大学と違って、スポーツ推薦の選手が少ない印象だったんですが、活躍するトシさんを見て、慶応もいい選手を集めているんだなと思いました。
廣瀬 最後の早慶戦はそれまでとはまったく違って特別な場でしたね。というのも、それまでは自分がいいプレーをして、チームに貢献しようという意識が強かった。でも4年生になると自分のプレーよりも、チームのみんながどんな想いでプレーをしているのか、どんなラグビーをしたいのか、そんなことばかり意識するようになりました。
あとは学年が上がるに従って感謝の範囲が広くなっていったのを覚えています。試合に出られない4年生もいる。監督やコーチ、親、下級生、OB……本当に多くの人に支えられているわけです。そうした人たちへの感謝の気持ちが湧き上がってくるなかで、最後の11月23日を迎えましたね。ゴローは1年生のときから試合に出ているけど、初めての早慶戦はどうだった?