三島が気づいていたヤクザ映画の新しい表現の領域
当時のヤクザ映画は日陰者の地位に置かれていたために、映画専門誌はともかく、一般の新聞や雑誌ではまともな批評の対象にはされていなかった。
ところがそうした映画の中からも、熟練した監督によって個性的な作品が生まれ、目立たないながらも新しい表現の領域に達していることに三島由紀夫は気づいたのである。
そこで優れた作品に高い評価を与えて論じることによって、自分の影響力を行使してそうした事実を伝えていった。
会社からの制約が多くて低予算という悪条件の下で、あきらめることなく作家的な表現を追求していた監督やスタッフ、俳優たちの報われなかった仕事に対して、初めて外側から光を当ててくれた形になったのだ。
裏方として働いている無名のスタッフたちにとって、三島由紀夫のような人物が「しっかり見てくれている」という事実、「きちんと評価してくれる人がいる」ということは、仕事をしていく上で大きな励みになったのは想像に難くない。
三島由紀夫は1965年に、二・二六事件の外伝的な内容を持つ短編小説を、自らの手によって製作・脚色・主演・監督した無声映画『憂国』(東宝・日本ATG)で、軍刀を持って切腹自殺をするシーンを描いたことがある。
そうした体験によって一本の映画が、どれほど裏方の見えない仕事によって支えられているのか、心の底から理解していたのだ。
映画の全編に流れていた音楽は、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」、レオポルド・ストコフスキーが指揮するフィラディルフィア管弦楽団のレコードだった。愛と死の悲劇にふさわしい旋律を持つそのクラシック音楽は、『憂国』に込められたメッセージを世界中の観客が正確に受けとめるのに貢献した。
しかし、現実に自死を決行する前に仲間とともに口ずさんだのが、高倉健の東映ヤクザ映画『昭和残侠伝』シリーズの主題歌だった『唐獅子牡丹』だというところも、三島由紀夫らしいのである。