女性が加害者の場合
女性が加害者である場合もあります。しかし、「女性=被害者」というイメージが強固に存在しているため、女性から意に沿わない性的行為を強要されても、それを「性暴力被害」であると受け止めることは、本人にとっても周囲の人にとっても大変困難なのが現状です。
2002年のアメリカの調査では、18歳から24歳の男性1400人のうち、6.1%が女性に性交を強要されたことがあるという結果があります。また、イギリスでは、少年への性的虐待の加害者のうち20%は女性であるとの調査結果があり、同様の調査でスウェーデンでは加害者の10%が女性であったとの調査結果が出ています。
実際にはこのように女性からの加害が存在するのですが、男性が女性から性行為を強要されることが社会で想定されていないため、体験そのものを「性暴力被害」という枠組みで捉えるのがとても難しいと思われます。
しかし、相手の性別にかかわらず、同意をしたわけでもないのに性器やお尻を触られたり、相手の性的箇所を触らされたり、性行為を強要されたりするのは性暴力にあたります。
性的虐待
性的なことを理解する前に被害に遭った場合、強い恐怖や嫌悪感、混乱などが生じ、長期的な影響を受けることが多いです。しかし、そこで何が起こっていたのかということを理解するのは難しく、性的な知識を得てから非常なショックを受けることも珍しくありません。
また、性的虐待の場合は、加害者は「グルーミング」と呼ばれるような、被害児に優しくして信頼を得た上で加害行為に及ぶこともあります。その場合は被害児自身も好奇心から行為に参加したように感じることがあり、混乱の中で何が起こったのか捉えることは難しいと思われます。
恥と敗北感
ここまでは、「男性は性暴力被害に遭わない」などの社会の了解ゆえに「被害」と捉えられずに混乱することを中心に書いてきましたが、男性個人の中にも「被害」と認めることに対する葛藤材料があることについても書きたいと思います。
男性は「強くあれ」とされる社会において性暴力を受けるということは、被害当事者にとってとても屈辱的で恥ずかしいことであると思います。性暴力「被害」という言葉そのものも敗北感を味わわせられる言葉でしょう。
弱みを見せたらつけ込まれるような、「力」が場を支配するような世界に生きている人にとってはなおさらそうだと思います。「抵抗することができなかった」「やられてしまったのは自分が弱いからだ」と自分を責め、恥ずかしいと思ってしまうのは、男性に暗黙の裡に求められる〝理想像〟がある社会では、ある意味当然なのかもしれません。
また、性別にかかわらず、被害の後に受けたダメージの大きさゆえに、「なぜ避けられなかったのか」と自分を責めてしまうこともしばしばあります。もし自分の力で何とかできていたとすれば、次に同じようなことがあったときに避けられると思うからでしょう。
そのような自責感や恥の感情ゆえに、被害を被害として認識することが難しくなることもあります。しかし、責められるべきは加害者であることは、繰り返し指摘したいと思います。
また、社会の側にも暗黙の裡に男性に対し強さを求めているところがあります。そのため、たとえ被害当事者の男性が心に傷を負ったとしても、社会の中には「それぐらいのことで」と被害そのものを矮小化する傾向があり、そのギャップで被害当事者が苦しむことも少なくありません。
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