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夢を描いた一枚の紙

国境なき医師団で海外に派遣されるとき、毎回必ずカバンに入れて持ち歩いていたある紙がある。

◉20代で営業マンとして徹底的に対人力とソフトスキルを磨く
◉30代でMBAを取りコンサルに転職
◉40代で政治家になる

いまは自分よりも随分年上の人たちが政治家をやっており、ちょっと間違ったことをされてもおとなしく聞いていられるところがある。でもいつか自分と同年代、あるいは同い年のだれかが日本のことを決める日がくる。そういう日が必ずくる。そのとき、自分はどこでなにをしているか。
二世や秘書上がりの通常ルートの政治家には、魅力がない。僕は、自分が一票を入れたくなるような理想の政治家になりたい。
理想の政治家像とは、サラリーマン経験があり、世界の現実がわかっていて、歴史観と国家観をもっている人。国民にビジョンを示せる人。

自分の未来は、自分でつくっていきたい。

これは、就職留年をしていた大学5年生の春に書いたもの。40代でその人物になるために、逆算して30代でするべきこと、20代でするべきことを箇条書きにしていた。

「確率じゃない。可能性にかけよ」国境なき医師団・日本事務局長が就職留年中、悩みぬいて一枚の紙に記した「究極の夢」_1
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これはキャリアデザインスクール「我究館」の館長、故・杉村太郎さんに提出した紙だ。就活で全滅したあと、大学の生協で杉村さんの『絶対内定』(ダイヤモンド社)という本が目に留まり、それを読んでこの“日本で最初の就職支援スクール”の存在を知ったのだ。

その紙を読んで、杉村さんは「いいなぁ、これ!」と言ってくれた。

もちろんいまは政治家になりたいとは思っていないが、当時の本音の夢がそこにあった。この夢は、その後何年もいつも僕の頭の片隅にあった。

英語が思うようにできず、年下のイギリス人やカナダ人に仕事をどんどん抜かれていったとき。自分の期待よりもずっと低い人事評価をオランダ人の厳しい上司につけられたとき。派遣期間中の一時休暇のあと、帰国したい衝動がこみ上げたとき―。

悔しいときも、辞めたくなったときも、そして紛争地の前線で眠れない夜を過ごすときも、「こんなところでつぶされてたまるか」とこの紙を見ては自分を奮い立たせていた。派遣先のスーダンのスコールで濡(ぬ)れて、紙はボロボロになってしまったが、思いはまだ心の奥に残っている。

この夢は、すんなりと描けたわけではない。たった一枚のA4の紙に書くのに、僕は半年以上、七転八倒した。