過去はけっして死なない。そもそも過去ですらない
イシューヴの指導者層と誕生したばかりのイスラエル国家が、新しく引かれた国境線の内側にいる膨大な数のアラブ人の存在を、安全保障上の潜在的脅威と見なしていたのは間違いない。
だが、アラブ人の強制移住には基本計画があったのか、それとも現地の軍司令官が決定権を与えられ、「好機」が訪れた際にそれを利用する権限を持っていたのか、そのどちらだったのかで歴史家の意見は分かれている。
強制移住がなければ、イスラエルが独立戦争後に結束した地政学的存在として現れることはなかっただろうと論じるイスラエルの歴史家もいる。
いずれにせよ、結果として大量追放が起こったことに変わりはない。何十万という人びとが土地を奪われ、現在に至るまでイスラエルとパレスチナ人は深刻な問題に悩まされているのだ。
先へ進む前に、人口移動、民族浄化、時代背景について一言触れておきたい。というのも、以上はすべてひどいことではあるものの、その背景を見ておく必要があるからだ。
1920年代から50年代初頭にかけて、人類史上最大規模の大量強制追放と人口移動が世界中で起こった。さまざまな国が、民族的、人種的、国民的に均質な集団を無理やりつくり出そうと試みた。
1920年代には何百万人ものギリシャ人とトルコ人が故郷を追われ、国境を越えて「正しい」国に行くようしいられた。
第二次世界大戦中とその直後には、ユダヤ人だけでなく、ロシア人、ポーランド人、ゲルマン民族など数千万人もの人びとが、誤った民族や国民であるという理由で、家を追われたり祖国から放り出されたりした。
スターリンの恐怖政治時代には、彼の怪物的で偏執狂的な気まぐれのせいで、数百万人のソ連国民が国内のある地域から別の地域へと強制的に移住させられた。
インド独立闘争では、何百万人ものヒンドゥー教徒が、のちにパキスタンとバングラデシュになる地域から追い出され、何百万人ものイスラム教徒が、インドからこれらの新たな隣国へ追放された。
これらの例からわかるのは、1948年のイスラエル/パレスチナで起こったことは、恐ろしくはあっても珍しくはないということだ。20世紀の初頭から中葉という悲惨な時代に、世界のいたるところでそうしたことが起こったのだ。
そして、その後数十年のあいだに、こうした事態はおおむね終息した。
こんにち、民族浄化―お察しのとおり(イスラエル/パレスチナの話題なので)、パレスチナ人に起こったことは実際には民族浄化ではないと言い張る者もいるだろうが、これは予想の範囲内だ―は人道に対する罪と見なされており、ひとたびそれが起これば、世界からごうごうたる非難を浴びる。
とはいえ、現在の基準を1940年代に当てはめるのは、不可能ではないにせよ難しい。当時のパレスチナのユダヤ人が、アウシュヴィッツからわずか5年で再び破滅の瀬戸際に立たされていると感じていたとしても、無理はないからだ。
こうしたことはすべて過去の話だとして片づけたくもなるが、それはイスラエル人とパレスチナ人の未来に思いを馳せるわれわれにとって手の届かない贅沢だ。
イスラエルとパレスチナの話になると、ウィリアム・フォークナーの言葉が頭に浮かぶ。
「過去はけっして死なない。そもそも過去ですらない」。
実際、強制移住の亡霊はけっして死んでいない。いまもイスラエルの極右の一部(権力の座に就いている者もいる)の中で元気に生きていて、イスラエルを支配するウルトラ・ナショナリストのあいだで広く受け入れられているふしもある。
そしてそれは、パレスチナの一部のイスラム過激派集団(イランやヒズボラ内部における彼らの支援者は言うまでもない)が使う表現においても健在だ。彼らは、イスラエルという「がん」を地域から取り除き、「川から海に至るまでパレスチナを解放せよ」と要求している。