バイ・マイ・アベノミクス
「アベノミクス」を大いに宣伝した一例として、2013年9月25日、ニューヨーク証券取引所を会場に実施した演説がよく話題にのぼる。
「〔ウォール街の〕名前を聞くと、マイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーを思い出します」
と映画への言及で始まったスピーチは、終盤、大団円をこう作る。
「ゴードン・ゲッコー風に申し上げれば、世界経済回復のためには、三語で十分です。
『Buy my Abenomics』」
いまだから言うけれど、この三語は、わたしには思いつけなかった。教養の間口において狭隘なわたしは、映画とスポーツ、ロックバンドの「メタリカ」まで出てくる絢爛豪華な本スピーチの起案者と擬せられることがまことに面はゆい。
この演説は何人かの合作であって、わたしはむしろ控え目な貢献者だったに過ぎない。それよりこのときはやはり通訳ブースに入り、せいぜいアメリカ訛りの英語にし、おおいに曲をつけて読んだ。そちらのほうが記憶になまなましい。
「バイ・マイ・アベノミクス」というフレーズ、時としてあざとく出た方が人の記憶に残るよい実例だ。IRに懸命な日本国CEOの言葉として、永遠に残る三語と言ってもいいのではないか。
歴代総理の発信力
最後に、少し近過去の歴史をみておこう。
中曽根康弘は、自身つくりあげたスタイルが荘重すぎて、IRなどはできなかったに違いない。宮澤喜一は、英語がうまいと言われていた。語彙は豊富、学識は豊かだったかもしれないが、その英語は実のところまことに聞きづらかった。官僚的に過ぎ、「希望」を語るには、適役と言えなかった。
小泉純一郎氏は、その息子、進次郎氏がそっくり受け継いでいるけれど、もらった原稿をじっと読むのに堪えない人だった。英語で話すこともできなかった。
民主党時代の三総理となると、既に論及した鳩山氏を除き、菅直人氏は中国首脳との会談で一度も顔をあげて相手を見ることができない有様。野田佳彦氏も、外国人との応接をいかにも苦手としたのが傍目にも明らかだった。
日本は米国という安定大株主に納得を得て割当増資に応じてもらわねばならない──、すなわち日米同盟強化に一直線で進まねばならない折も折、巨大化する中国を尻目に、戦略空間を一気に拡大する必要に迫られたまさにそのとき、そして長い不況の中、しおれかけた国民のガッツを呼び起こさなければどうにもならなくなっていたその局面で、どこにでも出て行って、ひたすら直球を投げ込む安倍晋三というコミュニケーターを得て、幸いだった。
口舌だけで、世の中など変わるものではない。しかし黙ったままでいては、本当に「二等国」扱いに甘んじなければならなくなっていたかもしれない。安倍氏率いる日本は、世界中のレーダースクリーンに、日本の存在を示す輝点を灯すことに成功した。
文/谷口智彦 写真/shutterstock
#1『感動の拍手で沸いた安倍総理の伝説的「米国連邦議会上下両院合同会議でのスピーチ」…安倍の希望で加わったフレーズと幻の”野茂プラン”とは』はこちらから
#3『故安倍総理、幻の”インパール演説”「従軍看護婦の英雄的献身に感謝の言葉」/安倍昭恵夫人の葬儀での謝辞も掲載』はこちらから