はからずもホワイトハウス見学

演説実施日の40日とちょっと前、3月20日ごろ、米議会からゴーサインが出て安倍総理の演説が本決まりになった。なお議会で誰にいつ話をさせるかは、日本においても同様だが政権がくちばしをはさむところではない。議会の専決事項だ。

つまりこのときまでに、日本の「シンゾー・アベ」について、迎え入れてよかろうというコンセンサスが米議会に成立していたことになる。強硬な反対意見を唱える有力議員が一人でもいれば、難しかっただろう。

ここまで持ち込むに当たってキャロライン・ケネディ駐日大使(当時)の働きが大きかったことは、後に触れたい。

実はこれに先立ち、3月1日日曜日出国、7日土曜日帰国の日程で、わたしは米ワシントンDCとの間を往復した。

このときは、本務先(安倍総理の外交スピーチをフルに手がけつつ、2014年4月以来テニュア教授職にあった慶應義塾での手は抜いていなかった)から得た研究費を年度内にきちんと使い、報告できる成果を作る必要に迫られていた。

研究テーマとして金融のウェポン(武器)化に興味があり、ドル決済網を用いた制裁の実務を、細部にわたって理解したいと思っていた。ゆくゆくは──といっても今日に至るも未完のままだが、制裁の主体となる米財務省の外国資産コントロール・オフィスについて詳述したいと考え、その先鞭をつけるのが目的のひとつ。

そこで専門家に会っておこうと、「財務省の戦争」と邦訳できる題の先駆的著作をもつウアン・ザラテ氏に、旧知のデイビッド・アッシャー氏の紹介で会ったのがこの時だ。

費用は一部学校支給の研究費で賄った。つまり、官費は使わなかった。あり得べき総理の議会演説を睨んだ下調べ目的の公費出張などではどこから見てもなかったし、実はそんな必要を全く認めていなかった。

感動の拍手で沸いた安倍晋三の伝説的「米国連邦議会上下両院合同会議でのスピーチ」…安倍の希望で加わったフレーズと幻の”野茂プラン”とは_2

オバマ大統領のスタッフと事前に会ったことが世間に知られた日には、米国と相談ずくで起案したのかなどと、痛くもない腹をさぐられかねない。

そもそも総理と一緒に作るんだと意欲満々だったスピーチに、誰かの意見、とりわけ米政権関係者の見解を参考にする必要など、毫も認めていなかった。これはわたしの、倨傲のゆえでもある。

ところが佐々江賢一郎大使以下当時の在米日本大使館スタッフは、時宜まことによろしきを得て谷口が来たと解釈し、お願いしたわけではないのに、ホワイトハウスのアジア担当上級部長としてオバマ政権アジア政策の中枢に座っていたイーヴァン・メデイロス氏や、第1章「スピーチライターとは何か」で述べたように大統領スピーチライター、ベン・ローズ氏との会合を、あらかじめセットしてくれていたのである。

佐々江大使は、外務省で筆者が初めて麻生大臣のため書いたスピーチをノーチェックで通してくれたという、その後いっさいあずかれなくなる特別待遇をしてくれた恩義ある方だけれども、このときワシントンで頂戴した配慮も、やはりありがたかった。

ホワイトハウスのウエストウイングに入り込んで、思っていたよりせせこましい、陽光の差し込まない場所だとわかったり、ホワイトハウスの給仕給食は海軍の管轄なんだと、見て妙に納得したり、なんでもないことに臨場感が味わえた。

メデイロス、ローズ両氏といちおう顔見知りになったことも含め、これから総理と作ろうとするスピーチが届くであろう人々の面構えや、その働く空間について具体像を抱けたことは、自信や安心を抱く一助になったと思える。