国際標準の人権意識を持たなければ、これからの社会人はやっていけない
これまで長年にわたって維持されてきた日本式の伝統的なメンバーシップ型組織は、安定と継続を重視するあまり、新たな風を取り入れ難かった。
しかし、コンプライアンスとポリティカルコレクトネスとSDGsの嵐が吹き荒れ、世の中全体がフェアでクリーンな社会実現を志向するようになり、組織内部で留保・温存されてきた諸問題が次々と浮き彫りにされている。
グローバルな視野が求められる現代においては、国際標準の価値観が日本の組織や企業にも求められ、ガバナンスや社会的責任、人権問題などを再考せざるを得ない状況になりつつあるのだ。
そうした基準から逸脱する組織が抱える問題が明るみに出るきっかけは、主に内部告発と外圧である。
日大理事会の問題は、メディアによる第一報以降、内部から告発者が次々と現れ、大きな注目を浴びることとなった。
ジャニーズ問題は内部告発に加え、BBCによる報道という外圧が波紋を広げる原動力となった。
また、デジタル技術の発展により生まれたSNSが、情報の取得・共有手段として劇的に進化すると、個人が直接情報を発信、大衆と共有するツールとして機能するようになった。
その結果、マスメディアを通じて得られた従来の情報だけではなく、組織内部からの生の声や真実がリアルタイムで共有されるようになっている。
日本の伝統的なウヤムヤ文化や隠蔽体質が、国際的なスタンダードと大きく隔たっていることは、すでに国際社会で広く知られ、非難されるケースも増加中だ。
今年9月におこなわれたトロント国際映画祭では、イギリス製作のドキュメンタリー映画『The Contestant』が上映された。
バラエティ番組「進ぬ! 電波少年」で1998年から1999年にかけて放送された企画、「電波少年的懸賞生活」で人気を博した、なすびを題材とする映画である。
日本人からすると、「何もそんな昔の話を……」と思うかもしれないが、裸で15か月の“監禁”懸賞生活を強いられ、本人が知らぬ間にその姿を放送されていたという実話が、深刻な人権問題として驚きとともに取り沙汰されたのだ。
日本に世界の厳しい目が向けられているという、ひとつの証ではないだろうか。
私たちが今まさに体感している“告発時代”を経ずして、長い間続いた日本の「ウヤムヤ文化」は終わらないのかもしれない。
社会全体が透明性を求める時代へと移行していること認め、これまでの価値観や組織文化を再評価し、新しい時代に合った形での組織運営や文化形成が求められるということだろう。
この痛みを伴う日本の社会変革が、我々国民一人ひとりの価値観や行動にも影響を及ぼすのは間違いない。
新しい時代の流れに早く気づいて受け入れ、適応するための知識やスキルを磨いていくことこそが、今の我々には求められている。
文/佐藤誠二朗