「何者かになりたい」層がコンテンツを消費する目的は、本当にオタクなることなのか?
しかし、従来のオタク議論を援用するのならば、オタクはある種のレッテルの側面がある。
筆者はオタクの専門家として10年以上オタクを研究している。さまざまな領域で研究されている点や、オタクという言葉が使われる機会によって持つ意味が異なるため、オタクは定義づけが大変困難である。
そのなかで、筆者はオタクの消費性とオタクの成立の仕方の2つに着目し、以下のようにオタクを定義している。
①自身の感情に「正」にも「負」にも大きな影響を与えるほどの依存性を見出した興味対象に対して、時間やお金を過度に消費し、精神的充足を目指す人
②オタクとレッテルを貼られた人このうち
①は、彼らの消費性とコンテンツに対する依存性を考慮に入れた側面である。オタクと呼ばれる消費者は、熱心に消費している点、特定のモノに熱中している点が他の消費者と異なり、その特質的な消費行動がオタク的と認識されている。言い換えれば、オタク的と認識されている特質的な消費行動を行う者のことを「オタク」と呼ぶわけだ。
その消費が特質的な消費なのかどうか判断をするのは他人であり、他人がオタクであると認識したときに、そこにオタクは生まれるのである。
もともと、オタクという言葉は「お宅」という二人称からきており、同じコンテンツを嗜好する消費者を呼びかけたり、声をかける際に使われるようになったといわれている。
「お宅も○○が好きなんですか?」「お宅もあのイベント参加しました?」といったように、相手の人となりはわからないが、たぶん自分と同じものが好きなんだろうな、というときに使い勝手がよかったわけだ。
「オタク」という言葉には呼称の側面があったのだ。また、若者の間では、オタクは自称として定着しているが、オタクのコミュニティには「にわか」や「ライトオタク」などオタクになりきれていない消費者への呼称が存在し、自分がどれに当たるかは他人からの評価で成立するのである。
「Aさんは(自分よりは)オタク」「Bさんは知識がないから(オタクじゃなくて)にわかだ」といった議論は、どのカテゴリーのオタクのコミュニティにおいても聞かれる話だ。
ここまで論じてきた通り、オタクがそこにいると認識される背景には、「消費者がコンテンツに熱中する⇒その熱量が他人に認知される⇒他人が自身の消費行動をオタク的であると認識することでオタクと呼ぶ(評価する)ようになる」といった流れが存在する。
そのため、本来好きが高じて(他人から特質的な消費行動が認知されて)オタク(と呼ばれるよう)になるのに、オタクを自称する層や、オタクという評価が欲しい=何者かになりたい層は、オタクになりたいがためにコンテンツを消費していることになる。
しかし、ここで疑問が生まれる。「何者かになりたい」層がコンテンツを消費する目的は、本当にオタクになることなのだろうか?
ここまで、タイパを追求したコンテンツ消費がされる理由として、①実社会、オンラインにかかわらず、消費が前提でコミュニケーションがとられるから、②オタク=何者かになりたいから、が挙げられると論じてきた。
果たしてこの2つは、タイパ追求の目的と言えるのだろうか。
文/廣瀬 涼 写真/shutterstock
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