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SNSで加速するタイパ志向

時間は有限で、お金では買えない価値がある。また、そのお金も有限で、支出できる額には限度がある。

バブル期のように湯水のごとく浪費していた時代や、インターネットやSNSが普及する前の情報ソースや情報量と比較すれば、お金を使うことに対して消極的になるし、時間を消費したい対象も膨大だからこそ、保守的になっていく。

現代消費者が消極的になってしまうのは、お金にしても時間にしても「かけてみたけどつまらなかった」「役に立たなかった」という消費結果が出た際に、消費したことで「損が生まれた」と再解釈してしまい、「損しないこと」が消費を決定する際の大きな指標となってしまっているからだ。

あわせて、SNSは多様な価値観を可視化させ、以前では社会的に享受されなかった考えや思想、価値観も受け入れやすくなる土壌を生み出したが、従来の価値観に対して疑問を投げかけやすくもなった。

それにはいい側面もあるが、一方で従来の価値観にそこまで疑問を持っていない保守派のユーザーにも、拡散機能によってそのような投稿がリーチしてしまい、何の疑問も抱いていなかった自身の価値観やプライオリティに疑問を生むきっかけを作りかねない。

例えば「結婚はコスパが悪い」とか「大学に行くことはタイパが悪い」といった内容を影響力のあるユーザーが投稿して幅広くその価値観がリーチし、リツイート(現・リポスト)や「いいね」の数、コメント数などによって、多くの人がその考えに賛同しているように見えると、自分の考えはマイノリティ(少数派)のように思えてしまう。

「早く答えが知りたい」「近道がほしい」…タイパにこだわる人が絶対手に入れることができない「消費すること」で生まれるストーリーとは_1
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Twitterでいえば、一般的に「バズった」とされる基準は、1〜3日の短期間で1万以上のリツイート数と「いいね」数を獲得するのが目安とされているようだが、実際そのような考えを持っている人が世の中全体のたった数パーセントだとしても、リツイート数が1万を超えていたら、「すごくバズってるな」「共感されているんだな」とそれが大衆の総意かのように錯覚してしまっても致し方ない。

SNS漬けの生活を送っていたり、SNSが情報ソースの中心になっていればなおさらだ。

大多数から共感されているという錯覚は、自身の価値観やプライオリティに疑問を生むには十分すぎる要因となるだろう。そのなかで、過剰にタイパやコスパが追求されることが美徳のようにSNSで扱われていたら、その対象への消費に対しても疑問を生むきっかけとなりかねないのだ。

本当に新しい価値観として腑に落ち、自身の指針となるのならばなんら問題はないが、「大多数がそう思っているから」「大多数がそうしているから」という理由で自分の価値観に疑問を生んでしまうことは合理的とはいえないだろう。

また、消費で損したくないという志向は「答えを早く知りたい」「近道が欲しい」という感情を生み、この感情は現代消費社会の潮流になりつつある。

本書で挙げたタイパの代名詞ともいえるファスト映画やネタバレ動画に限らず、人のレビューを探して購入を決めたり、Twitterのリプライ欄に溢れた誰かが投稿した補足情報を参考にしたり、YouTubeのコメント欄を見てハイライトや動画のあらすじを探そうとする。

人々は、そのような情報がそこに集約されていることを期待しているし、誰かがその期待に応えてくれることも知っている。そのような形で私たちは日常的に「まず答え」を求め、消費における失敗のリスクを避けようとする。