パーソナルモビリティ普及の必要性と保守派層の反発
脱炭素についての意識が高まり、また社会の超高齢化が進行する日本を含む先進諸国において、1〜2人乗りのコンパクトな移動ツールである“パーソナルモビリティ”の開発と普及は、今世紀に入って以降の急務案件だった。
町中などでの近距離移動を考えた場合、一人で車に乗って移動するというのは環境負荷が高すぎ、また高齢者の自動車運転には大きな危険が伴うからだ。
欧米では2000年代半ば、セグウェイに代表される電動立ち乗り二輪車が公道走行可能になったが、道路交通に関して一際厳しい規制のある日本では普及しなかった。
ブレーキもアクセルもなく、乗り手の体重移動のみで加減速および制動する自立式平行二輪車は結局、転倒や誤作動の危険性が高く、欧米でも尻つぼみになっていったが、それにとって代わるように、ここ数年間で急速普及したのが電動キックボードだったのだ。
だが、我が日本において現状では、電動キックボードが保守層を中心につくられた世論から、かなり厳しく批判されているのも事実だ。
すでに公道走行OKとなっているのにもかかわらず、まるで邪悪な乗り物を見るような目を向けられたり、SNSやニュースコメント欄で糾弾されたりしがち。
それはまるで、大人たちから白眼視されていたかつてのバイクの有り様に似ていたりもする。
そのバイク乗りからも、公道上で走行するゾーンがかぶることもあって、忌み嫌われているのが、現在の電動キックボードの実情なのである。
辛坊治郎氏は電動キックボードを巡る状況について述べた同書の中で、もしも今、新種の乗り物として「自転車」が発明されたら、おそらく世間から危険だ邪魔だと猛反発を受け、マスコミも事故多発と大騒ぎをした挙句、締め出されるのではないかとも語っている。
電動キックボードも、実際の安全性能や事故率などについての検証はさて置き、既成社会に加わってきた新参者という理由だけで糾弾の対象になっているようにも見受けられる。
世間の人々の価値観は、時代の変化や個人の成熟とともに変わっていくものである。
個々人の生き様や考え方、そして時代の趨勢を反映して複雑に流動しているものでもあり、単純に「アレはOKだけど、こっちは悪」などと断定できるものではない。
バイクも電動キックボードも、それぞれの時代あるいは世代を象徴する乗り物として、私たちの生活に彩りを添えてくれているのは確かだと思うのだが。
※電動キックボードに必須の装備品は、2023年7月の道路交通法改正により変わりました。本稿の写真のうち、バックミラーがついているものは改正以前、ついていないものは改正以降に撮影されたものです。
写真・文/佐藤誠二朗