辛そうな患者にまったく気がつかない

彼女は近所の精神科クリニックを受診し、うつ病と診断されて抗うつ薬を処方されたが効果はなく、受診時に自分の心臓をナイフで突き刺したい、と訴えることもあった。

この時期、職場では次のようなことが指摘されている。

患者の受診相談を担当したとき、マニュアルに沿って最初から最後まで一方的に話し、相当な時間をかけて説明していたが、患者が辛そうにしていることにまったく気がつかなかった、などである。

また松田さんは、臨機応変の対応が苦手だった。乳幼児健診の際に、本人が想定していない相談がきたときに言葉を発することができずに、表情がこわばって沈黙が続くことが何度かあった。

相談者からの言い回しがマニュアル通りでないと、まったく対応できないこともみられ、さらに松田さんの口調の強さや断定的なもの言いについて、クレームがくることもあった。

彼女は曖昧な表現が苦手で、「仕事の様子をみながら、別の業務にもあたってください」などと指示されてもほとんど対応できず、一つの仕事を終えるまで次の仕事に移ることができなかった。

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曖昧な表現が理解できない

このような職場における問題点は、松田さんのASDの特徴を反映したものと考えられる。

「言葉のニュアンスがわからない」「ノンバーバルなコミュニケーションが苦手」「曖昧な表現が理解できない」などはASDにおける特性として広く指摘されているものであり、こうした問題によって松田さんは職場になかなか適応することが難しかったのだった。

松田さんはこの病院を半年余りで退職した。その後、別の医療機関への転職を繰り返した。どの職場でも定型的な業務はしっかりとこなせるが、やはり臨機応変の対応ができないことが目立った。

特に患者が高齢者で指示通りの行動をしないときなどは、どうしていいかわからなくなってしまい、その場でフリーズしたり、過呼吸の発作が出現したりもした。時には理不尽な怒りを患者に向けてしまい、激高してしまうこともあった。

松田さんは抗不安薬の服用によって、一時的に精神的には安定したが、長期的に仕事を継続するためには、自らのASDの特徴の自覚と苦手な状況にどのように対応したらよいか、準備をすることが必要である。

しかしながら自らの特性、問題に向き合うことは簡単なことではなく、現在は医療の現場からは離れて、一般事務の仕事についている。これは比較的単純作業が多いので、大きな問題は生じていない。


文/岩波 明 写真/shutterstock

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「外来を受診する成人期の発達障害には、うつ病など従来の精神疾患で通院する人とは異なる点が多い。何よりもまず彼らは普通の人たちで、一般の社会人だということである。
受診する大部分の人はフルタイムか、それに近い仕事をしていることが多い。休職したり職がない状態であったとしても、仕事への意欲は十分に持っているケースがほとんどである」(岩波氏)。
近年、「ギフテッド」(平均をはるかに超える知的能力を持つ人)が称揚されるなかで、天才とADHD(注意欠如多動性障害)、ASD(自閉症スペクトラム障害)を結びつける傾向が強い。だが一方で上記のように、精神科を受診する発達障害の成人の多くは、働く社会人である。
彼ら、彼女らは幼いころから積み重なった「周囲となじめない」負の記憶や、職場で浮いてしまうという悩み、問題行動による解雇などに苦しみ、自らの人生を何とかしたいと考えている。
はたして、発達障害の特性にマッチした職場環境は得られるのか。薬物療法には効果があるのか。就労支援の制度や社会復帰のトレーニングをどう活用すればよいのか。
「発達障害の人は働けない」という誤解を正し、本人・周囲にとって最適な就労への道を専門医が示す。

第1章 止まらない仕事のミスと対人関係の問題
第2章 ADHDをめぐる誤解――職場でどう接するか
第3章 ASD(自閉症スペクトラム障害)をめぐって
第4章 仕事とNeurodiversity
第5章 ADHDは治せる
第6章 ASDを治す 
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