暴力的支援
「暴力的支援」――この耳慣れない言葉を私が知ったのは、ひきこもりについての取材を始めて1カ月ほど経った19年の5月のことだ。
ひきこもりの当事者や、ひきこもりの人の支援に関心のある人たちが都内の公民館などに集まり、交流する「ひきこもりフューチャーセッション 庵(IORI)」に初めて参加させてもらった。
ひきこもりと聞くと、部屋からほとんど外に出ない状態を想像する人も多いだろう。だが、実際にはそうとは限らない。
私が取材しているひきこもりの人たちも、コンビニやスーパーで買い物をしたり、図書館で勉強したりと、日ごろは街にも出かけている。
ただ、人と接することに著しく緊張したり、恐怖を感じたりしてしまうので、家族や他人と「社会的な距離(ソーシャル・ディスタンス)を保たねばならない」という。そうして周囲にバリアを張り、過度なストレスから身を守るのがひきこもりという状態であり、部屋にこもるのはそのための手段のひとつなのだと教えられた。
確かに、外見上は皆「普通」にみえる。この「普通に見える」「問題を抱えているようには見えない」ことこそ、ひきこもりを語る上での最大のポイントといってもいいかもしれない。
それゆえに周囲からは「甘えている」「根性が足りない」と思われ、理解されない。悩みを抱える仲間同士、一緒に語り合いたいと望む人も多い。
そうした中、ひきこもりの家族でつくる団体「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」(東京都豊島区)の副理事長で、ジャーナリストの池上正樹さんらが2012年から続けてきたのが「庵」だ。
「相手の話を否定しない」「話を聞くときは、うなずき多めで」などいくつかの対話ルールがあるが、あとはひきこもり生活での不安や家族との関係などさまざまなテーマで自由に語り合う。
「この日のために体調を整え、頑張って出かけてきた」と話してくれた男性もいた。そこで出て来たのが「暴力的支援」についての話題で、ひきこもりの本人を部屋から強引に連れ出し施設に入れるという、にわかには信じがたいビジネスがあるという。その存在を私はこのとき初めて知った。
引き出し屋に「拉致された」などとして被害を訴える人たちを支援する小さな集まりが都内のあるバーで開かれるとも聞き、数日後に訪ねてみることにした。
この集まりを呼び掛けたのが、当事者メディアの先駆けでもある「ひきこもり新聞」を発行している木村ナオヒロさんとその仲間たちだ。いずれもひきこもりの経験者で、引き出し屋の施設から脱走したり、暴力を受けたりしたとして、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む人の相談にも乗っていた。
この日は埼玉にある自立支援業者の元従業員という男性も参加していて、「私がいた施設では連れ出しのことを『実行』と呼び、元警察官の代表者から事前に相手を羽交い締めする方法を習った」などと自身の体験を赤裸々に語っていた。
そのバーで、声をかけてくれたのがジャーナリストの加藤順子さんだった。加藤さんはそれまでも引き出し屋問題に警鐘を鳴らす記事をいくつも書いていたが、マスメディアの記者にもこの問題にもっと関心を持ってほしい、と考えているようだった。
そして後日、加藤さんを通して会わせていただいたのが千葉県に住む30歳代の奈美(仮名)さんだった。