SNSを通して始まった、新しい世界
2020年4月に始めたTikTokは、フォロワーが5万人、10万人と増えていった。11月に新しくつくったYouTubeアカウントもすぐに登録者数1000人を超え、「私が両足を切断した理由。」という2回目の投稿が運よくバズって、スタートから3週間で、収益化の目安も超えていた。
TikTokはアプリを使っている人だけが見るけれど、YouTubeはインターネットだからもっと広く届く。私のことを「突然、流れてきてたまたま知った」という新しい人がファンになってくれて、今の登録者数は25万人超だ。
それまでは、「エンタメの力で健常者と障がい者の壁を壊したい」と言い続け、福祉関係も一般的なものでも区別せずにイベントに出ていた。
でも、私自身に「お客さんを呼び込む力」があったわけじゃない。主催者さんやスタッフさんのつくってくれた舞台に、乗っかっていただけだ。
それがコロナをきっかけにSNSを強化させたら、ガラッと変わった。
「障がい者について考えたこともなかった」とか「若い子のファッションはどうでもいいけど、みゅうちゃんに興味がある」という人たちが、イベントに足を運んでくれるようになった。
外出中に「いつも動画見てます!応援してます」と、小学生や中学生にも社会人にも声をかけられるようになった。
障がい者も健常者も関係ない、新しいコミュニケーション。
「#車椅子女子」で始めたSNSだけど、それだけじゃない世界が始まった──これってたった一歩だけど、私には大きな一歩だった。
たぶん、「幸せの第一歩」ってことだよね。
「白イルカの飼育員」になれなくてよかった話
2021年に行われた東京パラリンピックにパフォーマーとして出演してミラノコレクションのランウェイを歩き、念願の一人暮らしも始め――今に至る。
まだまだ数歩かもしれないけど、「進んでる!」って実感がある。
そして、いきなり話が変わるけど、大道具さんになる前の私の夢は、「白イルカ の飼育員」だった。おばあちゃんに連れられて八景島シーパラダイスに行って、イルカのタッチ体験に当選したときは、うれしくて、うれしくて。
だけど、そのうれしさはすぐに、こなごなに砕けた。イルカがいるプールは、磯の香りというのか生臭い。イルカ自体が魚臭い。
今も魚介類すべてが食べられないほど、磯の匂いが苦手な私にはなかなかつらかった。完全に無理!──人生で最初の夢は、そこで消えてしまったわけ。
でも、よかったと思ってる。
白イルカの飼育員になれなかったから、「ものをつくる大道具さんになろう」と夢を変えて、今の自分がある。コロナで仕事がなくなったから、動画配信を始めて今の自分がある。
事故で両足を失ったから、今の私がある。私は今の私が好きだ。
一見、ネガティブなことも、全部自分をつくってくれるチャンスになる。
(年齢、SNSフォロワー数等は2023年5月時点のものです)
文/葦原海
写真/『私はないものを数えない。』より出典 ©︎ Sumiyo IDA