「主人公はたまたま義足であったけど、ただ一人の男としての挑戦を描いた」
『義足のボクサー GENSAN PUNCH』は、俳優の尚玄さんが親友の土山直純さんの実体験をモチーフに、プロデューサーと主演を兼ねた作品です。幼い時に片足を失った土山さんは成長し、プロボクサーを目指します。しかしながら、義足での試合は安全性を保てないとの理由で日本でのライセンス取得が許されず、土山さんはフィリピンに飛び、そこでプロボクサーを目指すことを決意します。
子育てをする上で、既存のレールに乗ることができると子どもの夢には比較的近づきやすいのですが、この映画が描くのは前例がないことへの挑戦。息子の決意に何も言わず、見守る母親役を南果歩さんが演じています。尚玄さんは土山さんをモデルとした主人公、津山尚生(なお)を演じるため厳しいトレーニングを積んでボクサーの肉体を作り上げ、また、プロデューサーとしてフィリピンを代表する映画監督、ブリランテ・メンドーサに熱意をぶつけ続け、映画化を引き受けてもらい、企画の立ち上げから実現まで8年の月日を費やしました。
努力は身を結び、昨年、第26回釜山国際映画祭において『義足のボクサー』がキム・ジソクアワードを受賞しています。
尚玄さんは今年すでに、中村真夕監督の『親愛なる他人』、吉田浩太監督の『Sexual Drive』が公開されていて、映画俳優として多忙を極めますが、沖縄出身の彫りの深い顔が日本人らしくないと、若い頃は役に恵まれなかった時期があったといいます。尚玄さんの歩みを伺いました。
●俳優・プロデューサー/尚玄(Shogen)
1978年生まれ、沖縄県出身。大学在学中からメンズノンノほか、モデルとして活躍し、卒業後はパリ・ミラン・ロンドンのコレクションでモデルとして活動。2004年、25歳で帰国し、俳優としての活動を開始。2005年、戦後の沖縄を描いた映画『ハブと拳骨』でデビュー。三線弾きの主役を演じ、第20回東京国際映画祭コンペティション部門にノミネートされる。08年ニューヨークで出逢ったメソッド演劇に感銘を受け、本格的にニューヨークで芝居を学ぶことを決意し渡米。ニコール・キッドマンのプライベートコーチであるスーザン・バトソンやロバータ・ウォラックなどから演技を学ぶ。昨年はマレーシア出身のリム・カーウェイ監督の『COME & GO カム・アンド・ゴー』、小島央大監督の『JOINT』など話題作にも出演。アジア圏での活躍が注目されている。
僕が彼が義足ということにまったく気づかなかった
──『義足のボクサー GENSAN PUNCH』は実話をベースにしているとのことですが、日本でのプロライセンスに挑戦することもできない主人公が、発想を変えてフィリピンで自分の力を試すところがまさにエンパワーメントだなと感じました。尚玄さんは、主人公のモデルである土山直純さんとはどうのように出会ったのでしょうか?
「10年以上前ですが、土山君は結構な男前で、レスリー・キーのモデルなどをしていた頃に知り合いました。僕、最初は、彼が義足だということにまったく気付かなかったんです。彼は基本的にシャイな人なので、あまり自分のことを言わない。ボクサーだったとは知っていたんですけど、互いに打ち解けて、大分経ってから義足でのチャレンジ、しかも日本ではプロライセンスが認められず、フィリピンで挑戦したと聞いて、驚いたんです。
僕は大学時代にメンズノンノやファッション誌のモデルを始めて、その仕事は順調だったんですけど、本当にやりたかったのは俳優だったんですね。でも、僕のルックスが日本人に見えないと言われることが多く、なかなか自分の中で思うようにいかないところがあって、だったらニューヨークへ行こうと発想を変えた経緯があった。なので(土山)直純の話を聞いて、とてもインスパイアされたし、僕自身もエンパワーメントされたんですね。お互い被さる経験があって、それを映画にすることで、後に続く人がいるんじゃないかなと。それが映画にしたいと思ったきっかけです」
──尚玄さんが口説き落としたフィリピンのメンドーサ監督は、国政が厳しいフィリピンの暗部をえぐってきた監督で、今作は彼の作品の中で最もさわやかな作品になったと思います。どうやって説得したんでしょうか?
「直純がチャンピオンになったという話ではないですし、僕らも最初から『ロッキー』のような、いわゆるスポコンものを目指してたわけじゃなくて。映画では直純の家庭環境についていろいろ語られてない部分があるんですけど、彼は子ども時代、サッカーをやっていたんですね。ところが試合となると、義足を理由に、当日、審判から出場を認められなかった過去があって。それでボクシングを始めたのですが、アマチュア時代は優秀な結果を残したにもかかわらず、プロになることを認められなかった。
あるインタビューで直純のお母さんが、『息子さんがボクシングをして心配じゃないですか?』と聞かれた時に、『もう、すでに足を切っていますからね』 と答えたと聞いて、とても気丈な母親だったからこそ逆境に負けない強さが身についたかなと感じました。僕も母と距離が近かったですし、僕が直純に共鳴する部分、なぜこの作品を作りたいかという思いを、時間をかけて監督に伝えていきました」