崩落し続ける最古のアパート30号棟など、まるで古代遺跡
元島民用トンネルを抜け、見学通路(全長220m)を通って第1見学所へ。
石炭を運んでいたベルトコンベアの支柱や、高給職員住宅3号棟が残るこのエリアの様子はまるで、古代遺跡を見るかのようだ。
次の第2見学所は、坑員が働いていたというエリア中心部。赤いレンガの総合事務所跡、地下606m下まで降りるケージへ向かう階段などが見られる。ここではガイドさんが、命がけで働いていた当時の炭坑マンの様子や、悲しい事故で命を落とした歴史を詳しく話してくれる。
上陸ツアー最後の第3見学所は、最古の鉄筋コンクリート高層アパート30号棟が見える、居住区見学エリアだ。建物に近づくことはできないが、100年以上立ち続け、寿命が近いと言われる30号棟に目を凝らせば、どこかに行き交う大人や子どもたちの人影が見えるのではないかという錯覚にとらわれる。
島が一つの家族のように、賑やかで充実した暮らしだったと伝えられる高度成長期の一面だけでなく、外国人をはじめ、過酷な条件で働いたり、繰り返す事故によって命を落としたりした、主に戦前・戦中の坑員たちの苦労あってこその日本の近代化だったのだと、心に刻む。
無人島となったかつての海上都市の周辺海域は今では水が澄み、釣り人たちにとっては魚の宝庫だ。
興味と機会がある方はツアーに参加し、かつて71もの建物が立ち、5000人を超える人が暮らした軍艦島に降り立ってみて欲しい。そこに確かにあった人々の息づかいを感じるのも、荒々しい自然を目の当たりにするのも、日本の近代化とは何だったのかを考えてみるのもよし。あなたの想像の翼はここできっと、広がることだろう。
取材・文/中島早苗 取材協力・画像提供/軍艦島コンシェルジュ https://www.gunkanjima-concierge.com/