八百長レースとプロ野球「黒い霧事件」
八百長レースとノミ行為は明確な犯罪行為だ。競輪では、自転車競技法第六〇条で、選手が賄賂をもらって、不正な行為をおこなったり、逆に、当然おこなうべき行為をおこなわないと五年以下の懲役と規定されている。他の公営競技法でも同様の趣旨の条文と罰則が規定されている。
公営競技で違法な八百長とされるのは、本人(騎手、選手など)が他から利益を与えられることの見返りにレースに関する不正をおこなうことだ。
騎手や選手は競走開催期間中、外部との接触が極力制限される。選手宿舎などでは携帯電話なども使えない。そうした環境に慣れるため、現在の競輪選手養成所では入所時に携帯電話などは取り上げられ、休日の外出時などにしか返してもらえない。
入所した選手候補生は、入所期間中は所内の公衆電話で外部と通信する。世の中からすっかり消えたと思っていたテレホンカードがここではまだ生きている。
公正確保は公営競技の生命線だ。日本中央競馬会はアメリカの競馬制度にならい、警察OBなどを雇用した「競馬保安協会」を設立しているし、競輪でも頻発する不正に対応するため、1954年に当時の自転車振興会連合会審査部で警察OBを専門調査員として雇用した。
日自振(日本自転車振興会)で長年不正競走の撲滅にあたった源城恒人による『サインの報酬』をみると、八百長レースは暴力団の資金稼ぎの組織的犯行というよりは構成員の小遣い稼ぎ的なものだった。
摘発された八百長レースの実行犯には暴力団員が多いが、これは警察が暴力団対策として目を光らせていたこともあるだろう。
公営競技の不正レースが他に波及し、大きな社会問題となったのが、1968年のオートレースにおける八百長レースの発覚だ。
69年9月、警視庁捜査四課が錦政会(現在の指定暴力団・稲川会の前身)幹部と5人のオートレース選手を逮捕する。この事件の取り調べの過程で八百長グループにはプロ野球選手が多数関係していることが発覚し、野球賭博の問題と絡み、オートレース選手、プロ野球選手、暴力団関係者など30名を超える逮捕者を出す大きな事件となった。
暴力団員とプロ野球選手との交流が公になり、プロ野球の「黒い霧事件」として国会でも取り上げられる大事件となった。この事件では当時西鉄ライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)のエースだった池永正明もプロ野球から永久追放された。池永は終始八百長をおこなっていないと主張しており、2005年になってようやく処分が解除され復権した。
日動振は、この事件を契機に、警察出身者を調査員とする調査室を発足させた。
八百長レースは競技の信頼性を損なう行為だが、公営競技に限らずあらゆるスポーツで選手の不正はおこりうる。実際のところ、八百長事件が発覚しても、公営競技の売上が著しく低下することはなかった。
だが、公営競技のイメージを著しく損なうことは確かだし、かつてはそうしたことが廃止論に火を付ける可能性もあった。残念なことだが、八百長事件は現在もなお発生し新聞沙汰になることがある。